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-総排気量:1584cc
-最高出力:120ps(123ps)/6400rpm(6500rpm)
-最大トルク:14.50kgfm(14kgfm)/5000rpm(5000rpm)
-駆動形式:FR
-全長:4015mm
-全幅:1495mm
-全高:1325mm
-車両重量:970kg
-価格:Cr.2,148,400(走行距離97694km)
-重量バランス:60対40
-価格:Cr.4,200,000(走行距離0km)
-Lv:0
-PP:338(351)
-備考:()内の数値はリフレッシュ・OHした際のもの
-備考:トランスミッションは4速
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//-ここに解説を書き込み
-ベレット1600GT-Rは日本初の走りを追及したGT-Rである。
-いすゞ ベレット(社内開発記号 SX)は2つの問題を抱えていた。
1つは輸出することを前提とした車とすること、もう1つは経営スケジュールの観点から開発期間が3年と非常に短かったことである。ヘルマンやベレルに次ぐ3車種目とはいえ全くの新規開発であった。
また加えて国産車としては異例の後輪独立懸架などのスポーティな要素を取り入れたため開発は困難を極めた。
こうして設計がスタートし、昭和36年10月には第一次試作車の製作が開始された。
-このころになると自動車デザインの重要性が認識されるようになったが、先代のベレルの反省から開発陣は工場に負担をかけないことを第一条件とした。
しかしそれを条件としながらもSXのスタイリングは当時の常識を打ち破った。
卵の殻をモチーフに曲面で構成されセンターピラーはも傾斜を持たせスポーティなイメージとなった。
スポーティなら未舗装の道にも対応するが高速ツーリングでも通用する車にしなければならない。
そのために重心を下げ空気抵抗を減らし走行性能を格段にいいものにしようとした結果として生まれた形であった。
-そして昭和38年6月、初期型ベレットの販売が開始された。
丸目2灯の1500ccOHVであるPR20型、1800ccディーゼルのPRD10型の2種でスタートした。
ベレットはヒルマンで確立したオーナー向け、ベレルで確立したタクシー向けの2つの需要をもくろんでおり、機構面からスポーティなオーナー向けとタクシー向けを区別した。
-昭和38年10月の第10回東京モーターショーにいすゞは6月に発売されたばかりのベレットの1500ccモデルをベースとした試作車「ベレット1500GT」を発表した。
ベースとなったベレット・サルーンが非常に良い操縦性を持ったため、この1500GTの総合性能も非常に高いものと評価された。
この1500GTはベレット1600GTとなり昭和39年4月に93万円で発売された。形式番号はPR90となった。
クーペスタイルの本格的GTと宣伝され、1600cc 88psのツインキャブレター装備の高性能エンジンを搭載し最高時速は160km/hに達した。
こうしてベレットは名実ともに日本初のグランツーリスモとなった。
-しかしベレットの進化は止まらなかった。
昭和40年には3速AT仕様が追加、昭和41年にはマイナーチェンジによりニューベレットが誕生した。
そして昭和41年9月、1600GTもマイナーチェンジを受けニュー1600GTとなった。
メーカーはマイナーチェンジとしたがユーザーからはモデルチェンジとの声もあった。
このニューベレット1600GTには旧ベレット1600GTとは一線を画したのである。
特にトランスミッションとエンジンは格段に進歩した。ギアノイズは最小限に抑えられシフト感覚も極めて軽量で気持ちいいものとなった。シンクロも強力になり2速40km/hからでも軽いシンクロノイズとともにローダウンできた。
クラッチはダイヤフラム・スプリングが新採用され踏力は旧型と比較して2分の1だった。
エンジンもクランクシャフトが5ベアリング支持となったことで高回転時の振動が少なくなったことや、エンジンマウントが改善されたことにより車体に伝わる振動も減少した。
インパネも進化し、メーター類の配置変更などで視認性を高め操作系のボタンはすべてワンタッチ式となった。
-昭和43年、ベレットはとどまることを知らずさらに進化。
ボディはさらに空気抵抗を少なくするように改良されさらに美しくなった。足回りも改良され急カーブを切ってもロールを抑え理想的な車体姿勢を作り出した。その運転間隔は「ベストフィーリング」という言葉を生み出すほどだった。
ヘッドライトは丸目4灯となり夜間運転の安全性がさらに向上した。
そしてこの年、いすゞは自社初となるDOHCエンジンの開発し完成させた。それが後に「最も美しい日本車」と評される[[117クーペ>いすゞ 117クーペ '68]]にも搭載されるG161W型エンジンである。
そしていすゞはG161W型を改造したエンジンをベレットGTXという車に搭載した。
-ベレットGTXは市販車ではない。鈴鹿12時間レースに出場することを目的として開発されたレースカーである。
最高出力は160psを超え、その比類なき性能と耐久性をポルシェ カレラ6ほか名立たる2Lマシンを撃破することによって証明した。
そしてこのベレットGTXをもとに形式番号PR91Wを持つ車が開発された。それがこのベレット1600GT-Rである。
-ベレット1600GT-Rは日本初の走りを追及したGT-Rである。
レースカーであるベレットGTXをベースとし「和製アルファロメオ」とも言われ、優れた運動性能とエンジン性能によりベレット1600GTとともに日本のレースを席捲した。
レースとは技術革新の舞台であると位置づけたいすゞ開発陣はレースで得た技術をベレット1600GT-Rにつぎ込んだ。
車体は太陽光の反射を抑えるためにボンネットを黒くし、2分割したフロントバンパーの間に丸目のフォグランプ2つを装備した。
またリアタイヤがブレークするのを抑えるためリアにネガティブキャンバーが設定されていた。
1973年3月をもって生産は終了してしまったが、日本初のRとTYPE Rのエンブレムは3代目ジェミニ・イルムシャーRに受け継がれていった。
-ベレットの進化はまだ止まらない。
昭和45年の第17回東京モーターショーに1台のスポーツカーが出品された。それがベレットMX1600-兇任△襦
140psに馬力を向上させたG161W型エンジンをミッドシップに搭載したミッドシップスポーツカーだった。
このベレットMXは営業サイドの反対やマスキー法対策で市販には至らなかった。
-ベレット1600GT-Rの心臓部であるGW161型エンジン、このエンジンはベレットGTX以外のレースカーでもサーキットを席捲した。
それが昭和44年の日本GPに登場したいすゞR6である。クーペとスパイダーの2つが作られた。
純粋なプロトタイプレーシングカーであり、180psにまで性能を引き上げたG161W型DOHCエンジンをミッドシップに搭載し最高時速は280km/h以上であった。
ベレットが残したレース成績はJAF公認の主なレースだけで優勝19回、総合優勝は14回を数えスカイラインの時代が到来するまでサーキットの王者であった。
-ベレット1600GT-Rは走りを追及したモデルである。
--ちなみに、正式名称は“ベレット1600GT タイプR”である。

-レースカーであるベレットGTXをベースとし、優れた運動性能とエンジン性能により、日本のレースを席捲した。
--レース成績はJAF公認の主なレースだけで優勝19回、総合優勝は14回を数え、[[スカイライン>日産 スカイライン HT 2000GT-R (KPGC10) '70]]の時代が到来するまでサーキットの王者であった。

-車体は太陽光の反射を抑えるためにボンネットを黒くし、2分割したフロントバンパーの間に丸目のフォグランプ2つを装備した。

-当時の市販車では珍しく、リアタイヤがネガティブキャンバーに設定されている。
これはリアタイヤのブレイクを抑えるために設定されたものだ。

-中古車市場では150万〜200万円ほどで取引されている。
多数の愛好家たちの手によって維持、保有され続けており、オーナーズクラブも存続している。
-ベレット1600GT-Rや[[117クーペ>いすゞ 117クーペ '68]]、[[ピアッツァ>いすゞ ピアッツァ XE '81]]、ジェミニ、ビークロス、アスカなど魅力的な車を生み出し、かつては御三家の1つとして数えられていたいすゞ自動車。
現在は乗用車分野からは撤退しているが、いつの日か復活し帰ってくる日を待ち望んでいる人は少なくない。
--多数の愛好家たちの手によって維持、保有され続けており、オーナーズクラブも存続している。

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-カラーバリエーション:Maple Orange,Magnolia White,Soleil Gold Metallic



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