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|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):90|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c
|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー/国籍|フェラーリ/イタリア|総排気量|2936cc|全長|4,358mm|
|カテゴリー1|N500|最高出力|478PS/4,000rpm|全幅|1,970mm|
|カテゴリー2|ノーマルカー/スーパーカー|最大トルク|58.8kgfm/4,000rpm|全高|1,124mm|
|内装|あり|駆動形式|MR|車両重量|1,100kg|
|年式|1992|吸気形式|TB|TM|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~セッティング他|
|ディーラー|Cr.45,000,000|制限|>|>|ダート走行不可|
|その他|---|特記|>|>|デフォルトでダウンフォースが存在(0:50固定)|
//-備考:

#region(←カラーバリエーションを表示)
|>|>|>|>|~カラーバリエーション|
|☆Rosso Corsa|---|---|---|---|
#endregion
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#ref(f40.jpg,nolink)
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-創立40周年を記念して1987年に製作され、且つ創始者エンツォ・フェラーリ氏が存命中に最後に携わったスーパーカー。
「そのままレースに出られる市販車」という車作りの基本理念を具現化した、歴代フェラーリ生産車の中でも高い人気を誇る車種である。
派生車としては「コンペティツィオーネ」「LM」「valeo」「LM Barchetta」等が存在する。
-1987年、フェラーリ社が創業40周年を記念して製作した、2シーターミッドシップ2WDのスーパーカー。
エンツォ フェラーリ氏が最後に企画した車両として知られており、コンセプトは「そのままレースに出られる市販車」。
これは彼が社を創業した際に掲げた自動車作りの基本理念であり、その理念を具現化した車両がF40である。

-ミッドシップに搭載されたV8ツインターボは「[[288GTO>GTO '84]]」及び改良型の「288GTOエボルツィオーネ」から引き継がれたものである。
最高出力は485psにまで高められ、レーシングカーさながらのスペースフレーム方式の軽量な車体が支えていた。
その出力特性は所謂ドッカンターボであり、パワーバンドに入ると同時に急激に立ち上がる強大なパワーにはF1ドライバーにさえ、「道路が濡れた日には走るな」や、「雨の日はガレージから出すな」と言わしめたという逸話が残っている。
この暴力的エンジンにより最高速度は市販車初の320km/h超えを達成。これは当時としては驚異的な性能であった。
-基本構成は80年代の市販フェラーリ車と同様の、楕円鋼管チューブラーフレームによるスペースフレーム方式である。
しかし構造部接着剤やカーボンケブラー等、積極的に当時の最新技術が各部に採用されており、軽量化と高剛性化を実現。
この手法は当時のレースカー製作と全く同じものであり、開発コンセプトが息づいている事が伺える。

-本車の車重は「乾燥重量1100kg」又は「1230kg」とされているが、メディアや資料によってまちまちであり、正確な数値は不明。
車両重量がこれだけ不鮮明なのは珍しいケースであるが、如何せん販売から20年経っているので、今更の調査は容易ではない。
-ミッドシップに搭載されるV8ツインターボは、[[288GTO>GTO '84]]及びその改良型から引き継がれたものである。
ボアアップや最大ブースト圧の調整等の改良を行い、最高出力485PS・トルク58.8kgfmという高いパフォーマンスを発揮した。
公称最高速度は324km/hであり、これは当時の市販車としては世界最速の数値であった。
ただしその出力特性は所謂ドッカンターボであり、その暴力的な立ち上がりには多くのドライバーが頭を抱えたという。

-2012年7月にデビュー25周年を記念し、イギリスのシルバーストンサーキットで60人のF40オーナーがパレード走行を行った。
本車はRosso Corsaのみの販売だったため、サーキットは赤一色に包まれたという。
-本車が発表された翌年の1988年。「オールドマン」エンツォ フェラーリ氏は、90年の生涯を終える事となった。
彼が最後に手掛けたこのF40は、他フェラーリ車とは別格の特別性を持ち、20年以上が経過した今なお高い人気を誇っている。
そして彼の理念と情熱も、現在のフェラーリ車に脈々と受け継がれ続けている。
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#region(余談)
-上に述べたように本車の重量に関してはあまりよく分かっていないが、本シリーズでもGT5Pで初収録された時の重量は1100kgだったのだが、GT5のアップデートで1352kgに変更されていたりと、重量の変更を受けている。
--本作では収録当初の重量と同じ1100kgとされている。
#endregion
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#region(派生モデルの解説)
-LM
--1988年にル・マン24時間耐久レースに新設される予定だったGTCクラス用に開発した車両であるが、ル・マンのGTCクラスの開設が頓挫したためIMSAに参戦した。
エンジンは最終的に780PSまで引き上げられ、年々さまざまなエアロパーツ等が新開発され、大型のリアウイングなどで武装して行き、上記のコンペティツィオーネの仕様が出来上がって行く。
//#region(余談など)
//#endregion
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-コンペティツィオーネ
--1992年から少量生産された競技用途のホモロゲーション取得目的のエボリューションモデル。上記のIMSA仕様の市販バージョンともいうべき存在で((実質サーキット走行専用車だったのだが、当時はまだ「サーキット走行専用車」という発想や概念がほぼない時代だった。))、1991年までにIMSAに出場したレース仕様に用いられたエアロパーツやブースト圧を2.5バールまで引き上げ780PSを発生するターボエンジンなどの技術をフル装備、条件が揃えば時速380kmが出ると言われていた。のちのGT1仕様(GTE)のベースモデルとなる。

-GT
--イタリアの国内選手権用の車両で、グループNに近いレギュレーションのため外装(エアロパーツ等)はほぼノーマルのままであるが、エンジンは約600馬力を出し、足回りなどは大幅に改修されていた。

-GTE
--1995年に生産。上記コンペティツィオーネを元にFIA-GT1規定に沿って改修を施した車両。95年と96年のル・マンなどに参戦。
--95年仕様は、3.0Lターボエンジン(630PS)と自社製5速MTミッション。予選では総合優勝したマクラーレンF1を上回るタイムを記録して6番手スタートの車両がいたが、決勝では総合12位クラス6位が最上位。
--96年は、リストリクター対策で3.5Lにボアアップしたエンジン(650PS)にXトラック製6速シーケンシャルミッションを組み合わせた。しかしポルシェのワークスマシン911GT1やヨースト(TWR)のWSC95(前者はGT1ということになっている準プロトタイプ、後者は完全なプロトタイプ)などの登場で全く勝負にならず。97年はエントリーこそしていたが直前に出場を辞退した。

-JGTC
--便宜上JGTCとする。チームタイサンが1994年から全日本GT選手権GT1クラスに参戦させていた車両がある。
タイサンの社長である千葉氏の私物だったという公道仕様のF40に、レース参加に必要になる必要最低限の保安機器(ロールバーなど)を取り付けただけで、内部のチューン等を行っていない「ほぼノーマル」の車両が1994年シーズン開幕戦に登場し3位入賞。
その後「ほぼノーマル」から少しずつ進化し94年最終戦に1勝を上げ、95年シーズンには二台体制で参戦したが、レギュレーション改定で馬力が抑制されるなどして速さを失い2シーズンという短期間で参戦を終了した。
1996年終盤2戦のみ911 GT2の代打として出場している。
#endregion
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