分類性能
メーカー/国籍マクラーレン/イギリス総排気量6064cc全長4,288mm
カテゴリー1N600最高出力635PS/7,500rpm全幅1,820mm
カテゴリー2ノーマルカー/スーパーカー最大トルク66.3kgfm/5,500rpm全高1,140mm
内装あり駆動形式MR車両重量1,140kg
年式1994吸気形式NATM6速
入手方法セッティング他
ディーラーCr.100,000,000制限ダート走行不可
その他---特記デフォルトでダウンフォースが存在(200:450固定)
空力ブレーキシステム搭載
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  • ↓空力ブレーキシステム:高速走行からのブレーキング時に作動する

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  • ブガッティ ヴェイロンが登場するまでの長い期間、全ての車の頂点に立ち続けた伝説とも言えるマシン。
    尚、ヴェイロン登場まで「世界で最も出力の高い自動車」としてギネスブックに登録されていた。

    価格は当時としては超高額の約1億円だが、それでも赤字だったという。現在ではプレミアにより約3億円以上の値が付いている。
  • ブガッティ ヴェイロンが登場するまでの長い期間、全てのスーパーカーの頂点に立ち続けた伝説とも言えるマシン。
    価格は当時としては超高額の約1億円だがそれでも赤字だったという。現在ではプレミアにより約3億円以上の値が付いている。
  • フロント3シーターという変則的な3人乗りだが、これはドライバーを中心に位置する事で、重量バランスの最適化を図ったためである。
    エンジンベイを放熱効率の良さを求めて一面を金で覆う、ワイパーフィンにカーボンを採用する等一切の妥協も図られ無かった事が伺える。
  • 車体下部にサクションファンを搭載しているファンカーであるが、サイズの小ささ故に強力なダウンフォースはなく、効果は整流程度である。
    また、ダウンフォースを生み出すと同時にエンジンを冷却する効果も持つ。
  • 車体下部にサクションファンを搭載しているファンカーであるが、小型故に強力なダウンフォースはなく、効果は整流程度である。
    また、これにはダウンフォースを生み出すと同時に、エンジンを冷却する機能も併せ持つ。
  • 速さと同時に快適性も確実に両立し、今までのスーパーカー・スポーツカーの概念を大きく塗り替え、後のマシンに多大なる影響を与えた。
    特に運転のしやすさはスーパーカーとは思えないほど優れている。66.3kgfm以上のトルクを4000rpmから7000rpmの全域で発生させるトルクフルなエンジン。

    軽い踏力で特別意識しなくても扱えるクラッチ。シフトフィーリングに優れ扱いやすいトランスミッション。

    横幅1820mmという扱いやすい車体サイズ。ドライバビリティに優れた点を挙げればきりがない。

    6.1Lという排気量と可変バルブタイミング機構のおかげでアイドリング時でもトルクは必要十分で発進も容易。

    6速に放り込めば2000rpmで100km/h巡航ができ、高級セダンよりも穏やかに運転できてしまう。

    シフトダウンしスロットルを踏み込めばF1でのみ許された世界を体験できる。レスポンスも抜群で、全開走行は自制心との戦いとまで言われた。

    しかし、ABS等の一般的な電子制御機器はほぼ未搭載であり、技術の低いドライバーでは乗りこなせない、というレースカー的側面も持っている。
  • 速さと同時に快適性も確実に両立し、今までのスーパーカーの概念を大きく塗り替え、後のマシンに多大な影響を与えた。
    特にドライバビリティについては、それまでのスーパーカーを全て過去のものにするほどに優れている。

    扱いやすいクラッチとミッション、トルクフルなエンジン、手頃なボディサイズと、優れた点を挙げればきりがない。

    一方でABS等の電子制御機器はほぼ未搭載であり、生半可なドライバーでは乗りこなせない、というレースカー的側面も持っている。
  • 尚、設計者のマーレイ氏によると、当初はホンダにエンジン供給を依頼していた模様。
    しかし初代NSXにより赤字を出していたホンダ側の固辞により実現せず、その後、いすゞ自動車と交渉をするも決裂。結果、市販予定であったものの、お蔵入りしてしまったBMW M8に搭載予定であったBMW製V12エンジンに落ち着いた、という経緯がある。

    88年~92年のF1グランプリにおいて、エンジンサプライヤーとしてホンダはアイルトン・セナを通じてマクラーレンと親密な関係にあった。

    また、マーレイ氏がF1の開発に際してNSXを所有し、快適性を備えたスーパーカーの指標としていた事も無関係ではないと思われる。
  • 1988年~1992年のF1グランプリにおいて、ホンダはアイルトン・セナを通じて、マクラーレンと親密な関係にあった。
    そのため当初ホンダにエンジン供給を依頼したが、NSXにより赤字を出していたホンダ側の固辞により実現しなかった。

    市販予定であったものの、お蔵入りしてしまったBMW M8に搭載予定であったBMW製V12エンジンに落ち着いた、という経緯がある。
  • 丁度マクラーレンF1が登場した頃、当時のGTレース界はプロトタイプから市販GT車に回帰していた時期でもあった。
    そのハイスペック及び出自からサーキットでの活躍を期待されたマクラーレンF1は周囲の期待通りに95年の国際格式のレースシリーズである「BPR GT選手権」に現れ、いきなりの快走を見せると同年のル・マンにも現れた。

    近年希に見る荒天に見舞われたル・マンで見事本車はデビューウィンを達成、その優勝クルーの一人関谷雅彦はル・マン日本人初優勝者となった。
  • このレースを境にGTレース界は一気呵成に盛り上がり、ポルシェ 911 GT1、メルセデス CLK-GTR、日産 R390 GT1といった化け物級GTカーが誕生する契機にもなった。
    その波は当時GTレース界からは身を離していたフェラーリさえもF50のレーシングモデルを開発するに至っている*1。その後のロードユースをメインにした車両もマクラーレンを意識した(ペダル等の軽い操作性を追及した)車両開発を始めて、これらの一連の流れが"マクラーレンF1ショック"と表現されるほど、本車は影響力が強かったのである。

    尤も、デザイナーであるマーレイ氏は当初からマクラーレンF1をサーキット車としてはいない。

    '95年のル・マンも信頼性に問題があるから(ギアボックスが保たないと言われていた。実際には荒天でスローペースなレース展開が優勝をもたらしたとされる)という理由で走らせたく無かった模様。
  • 丁度本車が登場した頃、当時のGTレース界はプロトタイプカーから市販GTカーに回帰していた時期でもあった。
    その性能・出自からサーキットでの活躍を期待された本車は、周囲の期待通り、1995年の「BPR GT選手権」に現れる。

    いきなりの快走を見せた他、同年のル・マンにも現れ、見事デビューウィンを達成している。

+  余談
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    +  派生モデルの解説
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*1 しかし、どう足掻いてもマクラーレンを上回ることができないと悟ると一転して開発を凍結

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