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|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー/国籍|デ・トマソ/イタリア|総排気量|5763cc|全長|4,270mm|
|カテゴリー1|N300|最高出力|330PS/5,500rpm|全幅|1,830mm|
|カテゴリー2|ノーマルカー/スーパーカー|最大トルク|47.6kgfm/3,500rpm|全高|1,100mm|
|内装|あり|駆動形式|MR|車両重量|1,420kg|
|年式|1971|吸気形式|NA|TM|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~セッティング他|
|ディーラー|Cr.20,000,000|制限|>|>|---|
|その他|---|特記|>|>|---|
//-備考:

#region(←カラーバリエーションを表示)
|>|>|>|>|~カラーバリエーション|
|White|Silver Metallic|Beige Metallic|Yellow|Lime|
|Aqua Green Metallic|Medium Blue|Medium Green|☆Red|Bronze Metallic|
#endregion
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#ref(.jpg,nolink)
#ref(pantera.jpg,nolink)
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-デ・トマソ社最大のヒット作であり、1971年から1993年まで7258台が生産された。
--車名の「パンテーラ」はイタリア語で「豹(ヒョウ)」を意味する単語である。
-デ・トマソ社において最も商業的に成功し、1971年から1993年まで7298台が生産されたクルマ。
車名のパンテーラはイタリア語で豹(ヒョウ)を意味する。

-フォードはブランドイメージ向上の為、フォード GT40のイメージを踏襲したスポーツカー作製を企画しており、このプロジェクトによって誕生したのがフォード製V8エンジンを搭載するパンテーラである。
--当時のフォードの副社長がデ・トマソの社長であるアレッサンドロ・デ・トマソと個人的に親しい仲だった事による実現とされる。
--販売はフォードの販売網によって行われ、フォードとの提携が打ち切られてからもオーダー制で細々と少量生産され続けていた。
-フォードはブランドイメージ向上の為、[[フォード GT40>GT40 Mark I '66]]のイメージを踏襲したスポーツカー作製を企画しており、このプロジェクトによって誕生したのがイタリア製のボディにフォード製V8エンジンを搭載するパンテーラである。
--これは当時のフォード副社長リー・アイアコッカ氏が、デ・トマソの社長であるアレハンドロ・デ・トマソ氏と個人的に親しい仲である事から実現したもの。
--販売はリンカーンの販売網によって行われていたが、オイルショックの影響で販売台数が悪化し1973年にフォードとの提携が打ち切られる。その後も何度もモデルチェンジを重ねながら受注生産で細々と生産され続けていた。

-製造時期によって様々なモデルが存在するが、本モデルはパンテーラの最初期モデルである。
-設計を担当したのは現在ダラーラ社を率いているジャンパウロ・ダラーラ氏。
重心を車体の中央に近づける為、縦置きエンジンが室内に食い込むほど前方にマウントされている。

-「廉価で大量生産のスーパーカー」をコンセプトに開発された為、当時のスーパーカーとしては異例の生産性に優れたモノコックボディで製作された。
またエンジンが自社開発ではない事もあり、価格はフェラーリやランボルギーニのおよそ半額に抑えられていた。
その為70年代にアメリカに輸出された数はフェラーリよりも多かった。
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#region(余談)
-「廉価で大量生産のスーパーカー」をコンセプトに開発された為、当時のスーパーカーとしては異例の生産性に優れたモノコックボディで作製された。
またエンジンが自社開発ではない事もあり、価格はフェラーリやランボルギーニのおよそ半額に抑えられていた。
-自動車雑誌「Option」が主催し、茨城県の日本自動車研究所・谷田部高速周回路で行われていたチューニングカー最高速テストにて、日本国内初の300km/hオーバー(307.68km/h)を達成した「ゲーリー・アラン・光永パンテーラ」のベース車両が本車である。オリジナルのフォード製V8から、シボレー製の競技向けエンジンであるLS7に載せ替え、ABR細木エンジニアリングにて届いた際に壊れていたエンジンの組み直しと、車体・足回りの強化が成された、東名レース向けの650PS仕様とのこと。
しかし記録達成の2週間後、東京・目黒の一般道で事故に巻き込まれ廃車、オーナーであるゲーリー・アラン・光永氏もその事故が原因で他界してしまっている。
#endregion
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