//本ページの車両解説は整理・肉抜きが完了しています。現在編集の必要はありません。 //細かな誤字脱字の修正等を除き、車両解説の編集は遠慮してください。 //それでもなお車両解説の編集が必要な場合、運営スレにて意見を求めてください。 |CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):90|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー/国籍|シェルビー/アメリカ|総排気量|4728cc|全長|4,610mm| |カテゴリー1|Gr.X|最高出力|390PS/7,000rpm|全幅|1,753mm| |カテゴリー2|プロトタイプレーシングカー/WSCC-GT Prototype|最大トルク|47.0kgfm/4,000rpm|全高|1,422mm| |内装|あり|駆動形式|FR|車両重量|1,043kg| |年式|1964|吸気形式|NA|TM|4速| |>|~入手方法|>|>|>|~セッティング他| |ディーラー|Cr.1,500,000,000|制限|>|>|---| |その他|---|特記|>|>|---| //-備考: ---- #ref(コブラ デイトナクーペ \'64.jpg,nolink) ---- -ル・マン24時間レースでの勝利を目指すシェルビー・アメリカンによって、僅か6台のみが製造されたレーシングカー。 [[コブラMKIII>コブラ 427 '66]]でヨーロッパのレースを圧巻していたシェルビー陣営だったが、ル・マンではオープンボディ故の空気抵抗に悩まされた。 そのためフレームやエンジンを流用し、ボディをクローズドに、それに合わせてサスペンションの再設計を行ったのが本車である。 デビューが1964年のデイトナ2000kmだった事から、「シェルビー デイトナ」というニックネームが名付けられた。 -ウィークポイントである空気抵抗を改善したデイトナは、同年のセブリング12時間、そして目標であるル・マンでのクラス優勝を達成。 翌年もル・マンこそ3位だったが、デイトナ2000km、セブリング12時間等のビッグレースで次々と勝利し、年間王者に輝いた。 しかし1965年末、エンジンの供給元であるフォードに、「ライバル・フェラーリのGT40による打倒」を指示される。 シェルビー・アメリカンはGT40の改良に全精力を傾ける事となり、一線級の戦闘力を持っていたデイトナは僅か2年でその役目を終えた。 -6台のみ製造されたデイトナのプロトタイプ、「CSX2287」にはユニークな逸話が存在している。 激戦によりボロボロになったプロトタイプは当初買い手が付かず、数年間放置された後にポルシェの2/3程度という安値で売却された。 その後、6台という希少性や華々しい実績が再評価されるも、既にプロトタイプは20年以上も行方不明であり、幻の存在と化していた。 アメリカ全土のカーコレクター達が血眼になって探し周り、2001年、遂に南カリフォルニア州で発見される。 オークションでは768万5000ドルという途方もない価格で落札されており、これは当時のアメリカ製自動車の最高額であった。 現在、このプロトタイプはフルレストアが行われ、フィラデルフィアの博物館で丁重に保管されている。 ---- //#region(派生モデルの解説) //-書く場合はスラッシュを外してください //#endregion //---- |