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|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー/国籍|日産/日本|総排気量|2960cc|全長|4,310mm|
|カテゴリー1|N300|最高出力|280PS/6,200rpm|全幅|1,790mm|
|カテゴリー2|ノーマルカー/スポーツカー|最大トルク|39.6kgfm/3,600rpm|全高|1,250mm|
|内装|あり|駆動形式|FR|車両重量|1,510kg|
|年式|1989|吸気形式|TB|TM|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~セッティング他|
|ディーラー|Cr.3,950,000|制限|>|>|---|
|その他|---|特記|>|>|---|
//-備考:
#region(←カラーバリエーションを表示)
|>|>|>|>|~カラーバリエーション|
|White Pearl|Sensitive Silver (M)|☆Gun Gray Pearl (M)|Dark Blue Pearl|Black Pearl (M)|
|Red Pearl|Super Red|Yellow Pearl|---|---|
#endregion
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#ref(z32_89.jpg,nolink)
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-1989年に発売されたZ32型は、従来からの特徴であった「ロングノーズ・ショートデッキ」から「ワイド・ロー」への転換を図った。
-歴代モデルの伝統である(ターボモデルであっても)フロントに開口部が少なくスッキリとしたデザインは現在の目で見ても通用するが、CADを多用した結果開口部が非常に狭くなり、何かにつけて整備を行う際はエンジンを下ろさなければならないなど整備性が非常に悪いのも特徴であった。
例えばエンジンオイルフィルターを交換する際、エキマニの近くに手を突っ込まないといけないため火傷しやすく、タービンを交換しようとすればエンジンを下さないとまずアクチュエーターが曲がってターボトラブルが起こる。プラグ交換するだけでも10個近いボルトと2本のチューブ、それに6個のダイレクトイグニッションコイルを外す必要がある。その難易度は[[インプレッサ>インプレッサ 22B-STi Version '98]]などの水平対向エンジンよりは若干マシという程度。
そしてこの狭さが災いし、このイグニッションコイルがよく壊れる他、熱にも非常に厳しい。このころの車はゴムホースが多用されており、これが熱で劣化し謎トラブルを引き起こす。当然交換しようにも手の届かない所に大量に隠れているため、エンジンを下す必要がある。
-しかし、これらが逆に幸運だったのかもしれない。
このZ32型フェアレディZが開発されたのは901運動の時である。同時期に生み出されたモデルは[[R32型スカイラインGT-R>スカイライン GT-R V・spec II (R32) '94]]、S13型シルビア、A31型セフィーロ、P10型プリメーラなど現在でも人気がある名車たちである。
これらの車(特にFR)は当時の走り屋たちから絶大な人気を誇り、ドリフトスポットの常連であった。ゆえに開発コンセプトとは全く違うカスタムを施されることが多かったのだ。
Z32は前述したとおり整備性は劣悪で車重も重く、走り屋たちからはあまり人気が無かった。故に本来のコンセプトである高級スポーツカーという立ち位置から外れることはなかったのだ。
ただし、湾岸ランナーにはその空力性能と3L V6から生み出される余裕のパワーもあり人気だった…がハードチューンしようとすると整備性の悪さからお金をモリモリむしりとられた(ただ空力性能のおかげで要求馬力は低いのだけが救い)。
-本モデルに搭載されたエンジンはターボモデル・NAモデルともに先代同様V6だが、ターボモデルが国産車で初めて最高出力280psを達成した。
そして、運輸省(当時:現国土交通省)からの指導により日本の各自動車メーカーが2004年まで実施していた自主規制値の280psは本モデルが基準となった。
-このZ32型は様々な事情により結果的に11年もの長きにわたって販売された長寿モデルとなり、2000年に販売終了となった。
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#region(余談)
-バブル期を象徴するように、車に直接関係無い所にもお金がかかっていた。以下その一例。
--車載シザースジャッキがアルミ製。
--スペアタイヤのホイールもアルミ製。
--イグニッションキーがチタン合金。
-他にも2シーターと2by2モデルではホイールベースが違い、しかもその分は単にシャーシを延長しているのではなく、それぞれ独自の設計となっている。
-2シーターにはノーマルルーフとTバールーフが設定されているが、2by2はTバールーフのみの設定となっている。
--収録モデルは2シーターのTバールーフモデル。
-ランボルギーニ・ディアブロの[[後期モデル>ディアブロ GT '00]]に本車のヘッドライトが流用されている。
-マシン最高速を競うボンネビル・スピードウィークでは、JUNオートチューンの本車が小山氏によって419.84kmという記録を達成している。これは未だにE-BGMSクラスのレコードである。
#endregion
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#region(レース活動)
-1990年よりアメリカのIMSAに参戦(300ZXの名義。エンジンは初期はVG30DETTを使用、後期は当時のプレジデント用のV8 NAに換装、シャシーは最初期は2シーター版をベースにしていたがショートホイールベースでは700PS以上のハイパワーを受け止め切れず、すぐに2by2版ベースに変更した)、1994年にデイトナ24時間耐久レースとセブリング12時間耐久レースを制した。
この車両を元に300ZX-Tを開発し、94年のル・マンのIMSA-GTSクラス(エンジン出力がGT1クラスとほぼ同一の600馬力前後になるようリストリクターを装着したシルエットフォーミュラカーのクラス、RX-7を含め参戦台数3台)に参戦し総合5位、クラス優勝の成績を残す。
-日本国内では94年と95年にチームルマンが本車をベースにN-GT GT1クラスに合わせて製作したマシン「FEDEX 300ZX-LM」で、96年と97年には同じくチームルマンが上記のIMSA後期仕様を改修したNISSAN 300ZX-GTSを全日本GT選手権のGT500クラスに投入(97年は第二戦のみのスポット参戦)した。
しかし、日産(ニスモ)ワークスからの車両開発のサポートを受けられないことから目立った成績を残す前に参戦を取り止めてしまう。
--90年代後半の日産は財政難からJGTCはR33GT-Rをベースにした車両の開発に注力せざるを得なかったことと、国内では「スカイラインの方が商売上の優先順位が高い」ことが要因と言われるが、のちにチームルマンはトヨタワークス(2001年、ESSOウルトラフロースープラ)でチャンピオンとなり、GT-RのRBエンジンが徐々に時代遅れの物となるなど、長い目で見ると「逃した魚は大きかった」と言われることもある。
--90年代後半の日産は財政難からJGTCはR33GT-Rをベースにした車両の開発に注力せざるを得なかったことと、国内では「スカイラインの方が商売上の優先順位が高い」ことが要因と言われるが、のちにチームルマンはトヨタワークス(2002年、ESSOウルトラフロースープラ)でチャンピオンとなり、GT-RのRBエンジンが徐々に時代遅れの物となるなど、長い目で見ると「逃した魚は大きかった」と言われることもある。
-余談であるが、アメリカのレースシーンではデイトナ等を制したクレイトン・カニンガム・レーシングが使用したトリコロールカラーのZのイメージが今なお強く残っているとされ、GTC2001TOKYOに収録されたZ33プロトタイプLMレースカーの外観にもIMSA仕様を意識したデザインが用いられ、本作のリバリー機能を駆使しレプリカっぽく仕上げるユーザーもいる様子。
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