| 分類 | 性能 | 
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 | メーカー/国籍 | トヨタ/日本 | 総排気量 | 1988cc | 全長 | 4,175mm |  | カテゴリー1 | N200 | 最高出力 | 156PS/7,000rpm | 全幅 | 1,600mm |  | カテゴリー2 | ノーマルカー/スーパーカー | 最大トルク | 17.9kgfm/5,000rpm | 全高 | 1,160mm |  | 内装 | あり | 駆動形式 | FR | 車両重量 | 1,120kg |  | 年式 | 1967 | 吸気形式 | NA | TM | 5速 |  | 入手方法 | セッティング他 | 
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 | ディーラー | Cr.16,000,000 | 制限 | --- |  | その他 | --- | 特記 | --- |  
  
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| カラーバリエーション | 
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 | ☆Pegasus White | Thunder Silver | Solar Red | --- | --- |  
  
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- 事実上、国産初のスーパーカーと言えるクルマである。
 
名称・メカニズム的な継承点は一切ないが、LFAの始祖と呼べるクルマでもある。  
- ヤマハの技術供与によってトヨタから発売(車両の製造はヤマハが担当)された2000GTであるが、トヨタ側の開発担当は4人に過ぎず「共同開発」と呼ぶには諸説ある。
 
しかし、ヤマハ側は2000GTの開発についての公式な言及で「ヤマハの技術供与」という表現を用いていることから本項のような表現とした。 
なぜトヨタがヤマハに製造を委託したかというと、当時のトヨタには少数生産のためのラインを作るスペースが工場に無かったためである。決してトヨタが単独で2000GTを開発する技術が無かったわけでは無い。  
- 1964年に両社による開発が始まり、翌年8月には試作車が完成するという現代の眼で見ても非常に速い開発ペースは驚嘆に値する。
 
すでに著名なオートバイメーカーであり世界的な楽器メーカーでもあるヤマハの技術力はメカニズム的にも内装の仕上げに関しても大きく貢献することとなった。  
- 直列6気筒DOHCエンジン、鋳造マグネシウムホイール、4輪独立懸架、5速トランスミッション、4輪ディスクブレーキ、ラック・ピニオン式ステアリング、リトラクタブル・ヘッドライトといった装備を持ち、当時としては異例の贅沢な装備であった。
 
デザインに関しては完全な5ナンバー規格に収まっているにもかかわらず、その制約を感じさせない流麗なスタイリングを持ち、高級ピアノにも使用される高品質な木材を用いた内装(ウッドステアリングやインストルメントパネル等)は今なお評価が高く、現在でも熱烈なファンが存在する。  
- 2000GTの新車価格は238万円であった。
 
この価格を現在の通貨価値に換算すれば1500~2000万円程度と言われ、一般の人々にとっては想像を絶する超高額車であったが、開発・製造コストを考慮に入れれば赤字だったと言われている。  
- 収録モデルである前期型と1969年にマイナーチェンジされた後期型の双方を併せても総生産台数は337台(うち国内向けは約200台)程度と生産台数は極めて少ない。
  
 
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 |   | 余談
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- 前作GT6ではシフトレバーが実車よりも右側にずれた位置に配置されていたが、本作では修正されている。
  
- この車のオープンバージョン*1は「007は二度死ぬ」の際にボンドカーとして使用された事でも有名である。
 
現在はトヨタ博物館に保管されている。  
- 2300cc*2OHCエンジン搭載の試作車もごく少数存在する。
 
マニアなどには『2300GT』と呼ばれているが正式名称ではない。北米輸出仕様のクラウンなどに搭載されていたエンジンを改装したものを搭載した、所謂廉価版的な立ち位置であったと思われる。試作車両全てが左ハンドルだったことなどから北米市場向けに準備されていた物らしいが、諸事情で市販には至っていない。  
- 実はヤマハはトヨタと組む前に日産と共同開発を行っていた経緯があり、時と場合によっては本車がフェアレディZになっていたかもしれない、というのは結構有名な逸話である(現に試作車現存)。
 
ちなみに、幻の日産2000GTの画像はこちら に掲載されているので、見てみてはいかがだろうか。  
- 2000GTの開発者の一人である成瀬弘氏は後にレクサス LFAのテストドライバーを務めた人物である。
 
成瀬氏はほかにもメカニックとしてスポーツ800と1600GTを、チーフメカニックとしてトヨタ7レースカーと初代セリカにも携わった。 
その後テストドライバーとして初代MR2および2代目MR2、JZA80型スープラを担当。トヨタのテストドライバーの頂点であるマスターテストドライバーとなりXE10型アルテッツァ、ZZW30型MR-S、NHW20型プリウス、そしてレクサス LFAを手掛け、マイスターオブニュルブルクリンクと呼ばれたのである。 
その成瀬氏は2010年6月にLFA開発車両に乗車中にクラッシュし、急逝。LFAが最後の作品となった。葬儀には成瀬氏が師と慕ったNSXのテストドライバー黒沢元冶も参列した。
 
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