ブラジルのサンパウロ市にあるサーキット。
現在のサーキットの正式名称は「アウトドモーロ・ホセ・カルロス・パーチェ」
この名称は1977年に飛行機事故に巻き込まれ悲運の死を遂げたブラジル人F1パイロットホセ・カルロス・パーチェの名に由来する。
一方のインテルラゴスという名称は「2つの湖の間」という意味のポルトガル語が元。
1980年に一端F1開催が終了、1990年までにコースを現在のレイアウトに改修しF1開催が復帰し現在に至る。
詳細はWikipediaのインテルラゴス・サーキットを参照されたい。
現行のコースは、1~2コーナーが最大のオーバーテイクポイントの他、3コーナーから4コーナーかけての区間も高速区間。
インフィールド区間では7コーナーから先、11ターンまでの区間が低速コーナーが続きタイムを安定させるため適度なダウンフォース設定が必要。
14コーナーの脱出速度がホームストレートの伸びに直結するが、アンジュレーションが小刻みで狭いコースもありここでの無理はリスクも大きい。
余談として、1~2コーナーの名称「エス・ド・セナ」はコース改修のアドバイザーを勤め、1988年にF1世界王者となったアイルトン・セナに由来。
旧コースの(現行の3コーナー)最も標高の低い部分に無理やりバイパスを引いたため雨天時は1コーナー付近から3コーナー付近に向かい滝のように雨水が流れ危険な状態になる。また旧コースピットロードを寸断するようにコースを引いたためピットアウトする車両が絡んだ事故も多く、ピット出口は3コーナー部分かで延伸された。
旧コースは現在の1コーナーの先に高速のバンクカーブがあり、外周部がオーバルトラックとしても使用可能だった。
旧ロードコースは全長8キロのロングコースだった。
旧ロードコースは先述のバンクから裏ストレートまでをオーバルコースと同じ部分を走り、
現在の4コーナーの先にある湖の外周部を反時計周りで回り込みインフィールド区画に入り、現在の7コーナー部分に到達。
そこから現在の3コーナー部分までを逆走するように進み、ピット裏にあった直線を経て現在の8コーナー部分に接続するというレイアウトだった。
しかしこのレイアウトはスピードレンジの高さのわりにコース幅が狭く舗装も凸凹していたためグランドエフェクトカー+ターボエンジン搭載のF1やインディカーの走行が危険と判断されてコース改修ということになる。
1990年以降も細かな改修が行われており、10ターンの先を延長したヘアピンの増設、ピット出口の変更、2007年の再舗装などの他、
2011年に国内選手権で2週連続で発生した死亡事故を受けての14コーナー付近のランオフエリアの拡張工事もおこなわれた。