#contents
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*法正(ホウセイ) [#g136718c]

|~|CENTER:100|CENTER:197|c
|&ref(housei.jpg,nolink,70%);|~得意武器|[[鋼鞭剣]]|
|~|~所属勢力|&color(Green){''蜀''};|
|~|~CV(声優)|橋詰 知久|
|~|~字|孝直(コウチョク)|
|~|~キーワード|すべてに報いる劇薬|

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**紹介 [#vb9f41b6]
>''「法孝直、すべてに報いよう」''&br;
劉備入蜀の立役者。元は劉璋配下。
謀略に長け、参謀として益州平定を成功させた後、漢中攻略で活躍した。
報恩も忘れなければ、報復もやり遂げる徹底した「報いの精神」の持ち主。

**初期ステータス [#k678b347]
|~体力|~無双|~気力|
|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|275|252|181|
|~力|~守備|~移動速度|~弓術|
|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|303|297|100|255|

**レベル100ステータス [#c9a0c58c]
|~体力|~無双|~気力|
|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|675|752|377|
|~力|~守備|~移動速度|~弓術|
|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|703|657|100|655|

**固有アクション [#vfa8a1c0]
|~アクション|~解説|h
|~地上乱舞|''「取って置きだ たっぷり味わえ」''&br;''ループ部分:''[[鋼鞭剣]]を袈裟斬り、逆袈裟斬りと交互に振るいながら前進する。&br;''フィニッシュ:''&br;[[鋼鞭剣]]を左へ薙ぎ払った後、右上へ振り上げ、打ち上げた敵を空中で貫き、さらに地面に叩きつけ衝撃波を放つ。毒属性。&br;叩きつけ時の衝撃波で敵を転がるように吹き飛ばしダウンさせる。|
|~空中乱舞|''「思いっ切りやってやる」''&br;急降下し[[鋼鞭剣]]を地面に叩きつけた後、勢いよく振り上げ衝撃波で敵を大きく吹き飛ばしダウンさせる。風属性。|
|~特殊技|''「命乞いしてみろよ」''&br;[[鋼鞭剣]]を伸ばし捕らえた敵を引き寄せ前蹴り(通称:ヤクザキック)で蹴り飛ばしダウンさせる。毒属性付与。&br;敵を捕らえるのに失敗した場合は[[鋼鞭剣]]を右に振り払う。|
|~ユニーク攻撃&br;([[鋼鞭剣]])|''打上トリガー:''&br;低い姿勢で踏み込んで衝撃とともに右手を突き上げ敵を打ち上げる。&br;%%[[鋼鞭剣]]は握っているものの使ってないのでもはやパンチ?%%|
|~|''ダウンフロー:''三段目が変化。&br;[[鋼鞭剣]]を両手持ちし渾身の振り下ろしで敵をよろけ気絶させる。&br;振り下ろし自体の攻撃範囲は広めだが前方へ向け奔る衝撃波に攻撃判定が無いため、見た目よりリーチは短い。|

**登場シナリオ [#z530f8ce]
|~シナリオ名|~西暦|~分類|~所属|~地位|~レベル|~所在|h
|CENTER:130|CENTER:50|CENTER:50|CENTER:90|CENTER:60|CENTER:50|CENTER:50|c
|~[[黄巾の乱]]|~184年|~史実|>|在野|12|漢中|
|~[[反董卓連合]]|~190年|~史実|>|在野|12|漢中|
|~[[群雄割拠]]|~195年|~史実|>|在野|12|成都|
|~[[官渡の戦い]]|~200年|~史実|劉璋|一般|12|成都|
|~[[赤壁の戦い]]|~208年|~史実|劉璋|一般|12|成都|
|~[[潼関の戦い]]|~211年|~史実|劉璋|一般|12|成都|
|~[[三国鼎立]]|~218年|~史実|劉備|一般|12|成都|
|~[[北伐]]|~228年|~史実|>|>|>|不在|
|~[[蜀漢の滅亡]]|~263年|~史実|>|>|>|不在|
|~[[人気武将決定戦]]|~???年|~仮想|法正|君主|12|武威|


**武将考察 [#o83d0fe3]
-[[劉備]]の益州攻略に協力し、自ら進言した漢中侵攻には軍師として随行。適切な助言で劉備を勝利へと導いたが、激務からか漢中戦翌年に病死している。
--劉備の策謀相談役となった、相手の性格から行動を読む程の洞察力と、主を補佐するという目的の為に手段を選ばない果断さを兼ね揃える『現実主義者』。
[[諸葛亮]]からは「劉備殿を翻然と羽ばたかせる翼」、劉備からは「自分の足りないところを補える存在」と言われていただけに、劉備の法正に対する信頼は高く、没後には劉備から「翼侯」という諡を送られている。
[[龐統>ホウ統]]や[[関羽]]や[[張飛]]ですらなかった、特別な扱いと言える。
---後に法正の献策を知った[[曹操]]が「あの見事な采配はやはり新たな軍師だったか。しかし有能な人材をほぼ全て集めたつもりだが、法正を見落とすことになるとは」と悔しがった。
諸葛亮も劉備が夷陵の戦いで大敗した際に「''法正殿が生きていたならば、少なくとも大敗は避けられた''」と嘆いている。
--その諸葛亮とは性向が正反対なっていたが、公の立場(共に蜀の法律の編纂に当たった際など)にあっては互いを認め高く評価していた。
---法正が劉璋配下時代の些細な恨みによって私刑を行った際も、諸葛亮は法正の功績を挙げて咎めなかったという。
--三国志を編纂した陳寿いわく、「徳性は賛美されなかったが、魏臣に例えると程昱・[[郭嘉]]に比肩する」。龐統と共に曹操腹心の軍師たちに匹敵するとのことである。こと軍事にかけては、彼こそが「水魚の交わり」ともいえる存在であったのだ。
-8empでの専用称号は機略縦横。知略と悪徳が要求されるため、専用称号を目指す場合劉備との相性は良くない。劉備で専用称号を目指す場合は下野されやすいので注意。
--将器知略で専用称号が手に入る曹操の方が相性が良かったりする。同じ劉備軍ではホウ統と相性が良い。
*コメント欄 [#rd98bf16]
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