于禁
- 観念せよ!逃げ場は・・・→ 炎撃で盛大に吹っ飛ぶ がアップデートで無くなったね。うれしいけどなんかさみしい --
- でもダメージは喰らうから難易度高いと結構キツイ --
- 考察見たがひでぇな。本編樊城ではでかい顔してたが・・・。あと5将軍筆頭は張遼だと思ってた --
- 筆頭は張遼であってなかったっけ? --
- 確か五将軍の最古参ってだけじゃない? --
- そもそも五将軍に序列があったのか?正史で曹操が「特に武功があった者たち」と帝に上奏した時にこの五人の名前があった、ってだけだったと思ったけど… --
- 最古参は楽進です、役職では于禁が一番偉いですね。 --
- って張遼の考察見たらこっちも五将軍筆頭になってるじゃん!おお~いww --
- 于禁は確か曹操軍No3だったはず ちな2は夏侯惇 まああくまで5将軍ってのは役職とはまたちょっと違うだろうしね --
- 于禁は魏の五大将軍の中で軍事のトップだったって事だよね。軍事に関しては夏侯惇より権限あるんだよね?確か --
- 于禁の官職は最高で左将軍で、楽進が右将軍だから同格だな。外様武官筆頭であって、親族入れると惇兄が特別扱いなんでちょっと難しい。美しい人・徐晃・張遼は曹丕の代に于禁らと並ぶ感じだな。楽進が死んだ218年以降、樊城で捕虜になるまでの1年くらいの間は于禁が外様単独トップだった時代があることになるな --
- しかし 彼につきまとう晩節の汚名に反論する声も根強かったのだが、結局払拭には長い年月を待つことになったわけである。 同様に汚名を残して死んだ鄧艾がすぐ後に名誉を回復されたことはともかく ってのはやっぱりアレかね 法律を絶対視することがあり、あまり兵士・民衆の人望を得る事ができなかった っていうところからそうなってしまったんかね・・・・反論の声以上に ざまぁwwwしちゃった人が多かったとでもいうか 張遼・徐晃・張コウにかんしてはそもそも勢力滅んでるから難しいところだけど --
- 正史三国志は魏を主役に据えてるから、魏に降ってきた武将に比べ魏から他国に降った武将が悪く描かれるのは仕方がない --
- 正史はむしろ蜀と呉も対等扱いしているという異色の編成で、贔屓や曲筆を疑われているのは作者の出身国で時代も近い蜀後期関連くらいなんだが。そもそも、曹丕が戻ってきた于禁に酷い仕打ちをしたのも、降伏後呉にいた時に虞翻から散々に罵倒されたのも史実として伝わっていることであって、別に陳寿が脚色した訳ではない --
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