真田幸村【青年期】(サナダユキムラ【セイネンキ】) Edit

p02.jpg使用武器十文字槍
解放条件第七章
CV(声優)草尾毅
別名日の本一の兵

紹介 Edit

「貫き通すは、我が信念」

真田昌幸の次男。
兄の信之とともに真田家のために
武功を立てる若武者。
その人柄ゆえに仲間たちからは
慕われ、その武ゆえに敵からは
恐れられる存在へと成長した。
大人になった幸村は、父や兄の
背を見て己の守るべきものに
ついて深く考えることになる。

アクションタイプ Edit

チャージ攻撃

茶屋解放条件 Edit

第七章 開始後

ステータス Edit

能力名体力攻撃防御馬術敏捷
初期値14090909588
最大値328282280293273

人物像 Edit

  • 通称は源次郎。
  • 元服して信繁と名乗る。
  • 天正10年(1582年)3月、
    織田・徳川連合軍の侵攻により
    武田氏は滅亡し、主家を失った
    真田氏は織田信長に恭順する。
    この時、信繁は関東の地へ
    来た織田家家臣、滝川一益の
    もとに人質として赴く。
  • 同年6月、本能寺の変により
    信長が横死すると、混乱する
    世のさなか滝川一益は関東を
    離れる際、信繁も同行させ、
    その道中で木曾義昌に
    引き渡した。
  • 関東地方の覇権争いが激化
    する中、真田氏は上杉氏に
    帰属して自立し、従属の際に
    信繁は人質として越後国
    に送られた。
  • 織田家の家臣羽柴秀吉
    (豊臣秀吉)が台頭すると、
    父・昌幸はこれに服従し、
    信繁は人質として大坂に移る。
  • 天正17年(1589年)12月に
    小田原征伐が号令される。
    翌年の遠征の際には、
    信繁は石田三成の指揮下で
    忍城攻めに参戦したと
    伝えられている。
  • 秀吉の死後、慶長5年(1600年)
    に日本を東西に分けた、
    関ヶ原の戦いが始まると、
    真田昌幸・信繁親子は西軍の方へ
    味方し、徳川家康率いる本隊と
    別に徳川秀忠率いる別動隊
    3万8千の兵を上田の地で
    迎え撃った。

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