武田信玄が京を目指し西進を開始する よりも早く、上洛を果たしていたのは 尾張の織田信長だった。 すべてを討ち滅ぼし勢力を拡大する 信長に対し、畿内の大名たちは 反信長連合を組み抵抗した。 武田信玄と徳川家康が戦っている頃、 反信長連合の最大勢力の一つ三好 三人衆が野田福島で蜂起した。 さらに連合軍には、紀伊・雑賀衆の 雑賀孫市や、近江の浅井長政も 援軍として加わった。 雑賀孫市「何が天下布武だ・・・。 てめえに従わねえ奴を皆殺しに しているだけじゃねえか!」 浅井長政「・・・そうだ、義兄上の道は 正さねばならない。信玄公が上洛を 果たし、織田包囲網が完成すれば ・・・。」 雑賀孫市「信長も年貢の納め時って わけだ。それまでは俺たちが粘ら ねえとな!」