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|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー|日産|総排気量|3,495cc|PP|657|
|国籍|日本|最高出力|650PS/6,800rpm&br;(800PS/7,000rpm)|全長|4,720mm|
|カテゴリ|レーシングカー/FIA-GT1|最大トルク|72.0kgfm/4,400rpm&br;(92.2kgfm/4,500rpm)|全幅|2,000mm|
|モデル|簡易|駆動形式|MR|全高|1,090mm|
|ギャラリー|非対応|吸気形式|TB|車両重量|1,000kg/49:51|
|内装|簡易|PWR|1.25kg/PS|TM|6速|
|>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限|
|ディーラー|Cr.170,000,000|カスタム|>|>|ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可|
|プレゼント|---|チューン|>|>|ターボキットのみ可|
//-備考:
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-R390 GT1とは日産自動車が1990年代後半にル・マン24時間レースのために、トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)の協力のもと開発されたレーシングカーである。
-ル・マン24時間レース参戦のため、日産とトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)によって共同開発されたレーシングカー。
名称は、かつて1960年代の日本グランプリで活躍した日産・R380〜R383の系列として名づけられた。
-シャシーはTWRがかつてジャガーと組んでいた頃に制作したスーパーカー"XJR-15(GT2収録)"をベースに作られている。
最も、XJR-15自身所詮"F1の前座レースが出来る程度の車"であり、わずか外見に印象を残すのみで外見、中身ともに徹底的に改良されている。その中身は"プロトタイプレースカー"とでも言うべき内容であり、すでに末期症状となっていた当時のFIA-GT1カテゴリーを体現する車とでも言える。
なお、デザイナーに言わせると"フロント周りはZ、リア周りはGT-Rを意識した"そうであり、現にヘッドライトは[[Z32>フェアレディ Z 300ZX TT 2シーター (Z32) '89]]より流用されていた。
-シャシーはTWRがかつてジャガーと組んでいた頃に制作したXJR-15(GT2収録)をベースに作られている。
最も、XJR-15自身所詮"F1の前座レースが出来る程度の車"であり、わずか外見に印象を残すのみで外見、中身ともに徹底的に改良されている。
当初はポルシェ・WSC95(本作未収録)をベースにしたLMP車両の開発という計画であったが、コストダウンを計るためかXJR-15をベースにしたGT1車両の開発にシフトしたとも言われている。
その中身はほぼプロトタイプレーシングカーであり、既に末期症状となっていた当時のFIA-GT1カテゴリーを体現する車両と言えよう。
デザイナー曰く「フロントはZ、リアはGT-Rを意識した」らしく、現にヘッドライトは[[Z32>フェアレディ Z 300ZX ツインターボ 2シーター (Z32) '89]]より流用されていた。
ちなみにテールランプは何の脈路もない[[クーペ・フィアット>クーペ ターボ プラス '00]]からの流用品である。
-エンジンは、グループC最強と謳われた[[R92CP>R92CP '92]]に搭載されていた3.5L・V8ツインターボのVRH35Zをベースに開発されたVRH35Lが搭載された。
型番こそ違ってはいるが新型が開発されたわけではなく、VRH35Zにリストリクターを装着しブースト圧を下げただけで、エンジンそのものは以前のままであった。
VRH35ZはグループCで実績を残していたエンジンではあったが、リストリクターを始めとする各部への最適化が行われておらず、性能はかなり低くなってしまっていた。
わざわざ昔のエンジンを引っ張ってきたあたり、当時の日産財政悪化が深刻な事態になっていたことを証明するエピソードとも言える。
あくまでも"噂"レベルの話ではあるが、当時ル・マンを戦った[[GT-R>GT-R LM ロードゴーイングバージョン '95]]に搭載されていたRB26を搭載する案もあった模様。当時の責任者は明確に否定しているが・・・。
-搭載エンジンのVRH35Lは、グループC最強と謳われた[[R92CP>R92CP '92]]に搭載されていた3.5L・V8ツインターボのVRH35Zの改良型。
型番こそ違うが新規開発ではなく、VRH35Zにリストリクターを装着しブースト圧を下げただけで、エンジン自体は以前と変わらない。
VRH35ZはグループCで実績を残していたエンジンではあったが、各部への最適化が行われておらず、性能はかなり低くなってしまっていた。
わざわざ昔のエンジンを引っ張ってきたあたり、当時の日産財政悪化が深刻な事態になっていた事を証明するエピソードとも言える。
-当初はLMP1クラスでの参戦が計画されていたが、GT1規定へと変更されたため、規定により[[ロードカー>R390 GT1 ロードカー '98]]が1台製造された。
ちなみに'98年式のものは新規作成ではなく、'97年のものの改造版である(要するに1台しか作っていない)。現在ロードカーは日産座間記念車庫にレースカーと共に保管されている。
ちなみに1998年式のものは新規作成ではなく、1997年のものの改造版である。
現在ロードカーはレースカーと共に、日産座間記念車庫に保管されている。
-ル・マン24時間には1997年に初参戦。予備予選ではポールポジションを獲得する順調なスタートを切る。
しかし、レギュレーション解釈の違いにより改修を余儀なくされ、結果的にギアボックストラブルを誘発し、結果は残せなかった。
この時の対応に日産陣営とTWR陣営で意志の疎通がうまく行かず、トラブル多発に至ったと言われる。この問題は翌年には改善されていた。
このレギュレーション解釈の違いとは、ロードカーでトランクの部分はレースカーでは改造出来るか出来ないかというもの。トランクを開口しエアボックスとし、そこにミッションオイルクーラーを置いていたのだが、これがアウトとなり急遽ふさいだためにミッショントラブルが相次いだのである。
翌年、トランクに燃料タンクを置いたトヨタは普通に車検を通った。同じようにトランクを使うというアイデアだったが、穴を開けるかどうかが大きな違いだったようだ。
この時の対応に日産陣営とTWR陣営で意志の疎通がうまく行かず、トラブル多発に至ったと言われる。このため「TWRに高い金払ったのにジャガーの中古を押し付けられ散々な結果となった」などと罵られた(当時TWRはF1チームのアロウズの運営も手がけており、そちらでもヤマハエンジンを巡るイザコザや高木虎之介を始めとしたフォーミュラニッポン出身ドライバーの使い捨て起用などもありしばらくの間、日本のレースファンから「TWRは日本をなんだと思っているんだ」と怒声が飛ぶほど嫌われることとなる)。この問題は翌年には改善されていた。
-翌1998年の参戦時には、トラブルを生んだギアボックスの改善、ロングテール化などの空力改善(前年問題だったトランクスペースは、このロングテール部分に用意された)、TCSやABSなど各種電子制御を導入するなどし、性能を向上。
改良が功を奏し、優勝候補達が多く脱落する荒れた展開の中、星野一義・鈴木亜久里・影山正彦組の乗るマシンが総合3位という日本人トリオ当時歴代最高位を獲得し(この記録は翌年[[トヨタTS020>トヨタ GT-One (TS020) '99]]を駆る片山右京・鈴木利男・土屋圭市組に更新される)、前年度のマシンをアップデートさせた車両を含む出走した4台全車が10位以内(3-5-6-10位)で完走する健闘をみせた。
-翌1998年の参戦時には、ギアボックスやロングテール化などの空力改善、TCSやABSなど各種電子制御を導入する等し、性能を向上。
改良が功を奏し、メルセデスやトヨタなど優勝候補達が多く脱落する荒れた展開の中、1LAPの速さではライバルに劣るものの信頼性を武器にレースを進め、星野一義・鈴木亜久里・影山正彦組の乗るマシンが総合3位という日本人トリオ当時歴代最高位を獲得し、前年度のマシンをアップデートさせた車両を含む出走した4台全車が10位以内(3-5-6-10位)で完走する健闘をみせた。
-翌1999年にはGT1規定の消滅に伴いR390での参戦をやめ、オープントップのル・マンプロトタイプであるR391での参戦に切り替えて2台体制で参戦するも、クラッシュやトラブルによりリタイヤで終わった。
それ以降日産はワークスとしての参加はル・マンから遠ざかっていたが、[[リーフ>リーフ G '11]]で培われた技術を用いたフルEVのレースカー[[NISSAN ZEOD RC>http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2013/_STORY/130621-02-j.html]]を使用して2014年ル・マンに復帰することが発表された。
-翌1999年には、GT1規定の消滅に伴い、オープンプロトであるR391(未収録)での参戦に切り替えて2台体制で参戦した。
しかしクラッシュやトラブルによりリタイヤで終わり、それ以降日産によるル・マンの活動はLMP2クラスに出場するマシンへのエンジン供給を除けば遠ざかっていたが、2015年に[[GT-R LM ニスモ>GT-R LM ニスモ '15]]がWECに参戦することとなり、トラブル等の影響で第3戦 ル・マン24時間からの出場となったが、これにより本格的なワークス活動としては16年ぶりのルマン参戦となった。
-なお、本車はスタンダードモデルの中でも、極めてクオリティが高い車両の内の1台である。
-本車はスタンダードモデルの中でも、極めてクオリティが高い車両の内の1台である。
-夜にハイビームとロービームを切り替えると光量が変化する。この特徴はスタンダードモデルとしては本車と[[ロードカー>R390 GT1 ロードカー '98]]のみと思われる。
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#region(余談)
-実はこの車、日本車にも関わらず生涯一度も日本国内で実戦参加していない。
ほぼ唯一の機会になり得た当時FIA-GT選手権の一戦として開催されていた'98年の鈴鹿1000kmレースに同年ル・マンに共に参加したトヨタTS020と共にエントリーしようとしたが、FIAより"スポット参戦は認められない"としてトヨタと共に却下されている。
尚、トヨタTS020に関しては翌'99年のル・マン富士1000kmにて唯一の国内戦参加を果たしているがR390は98年でお役御免となったので国内での出番は無しに終わった。
-前作のグランツーリスモ4では黒塗りのR390がレア中古車として収録されていた。
初収録となったのはグランツーリスモ2で、現時点で唯一となる1997年仕様のレースカー及びロードカーも合わせて収録されていた。
-グランツーリスモ4では黒塗りのR390 GT1がレア中古車として収録されていた。
#endregion
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