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各ガレージ内スペック・重量配分・PWR・TM・カスタム/チューン制限
分類 | 性能 |
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メーカー | フェラーリ | 総排気量 | 3,967cc | PP | 591 |
国籍 | イタリア | 最高出力 | 456PS/8,000rpm (PS/,rpm) | 全長 | 4,185mm |
カテゴリ | プロトタイプレーシングカー/WSCC-GT Prototype | 最大トルク | 53.3kgfm/-rpm (.kgfm/,rpm) | 全幅 | 1,810mm |
国籍 | イタリア | 最高出力 | 456PS/8,000rpm (455PS/8,000rpm) | 全長 | 4,185mm |
カテゴリ | プロトタイプレーシングカー/WSCC-GT Prototype | 最大トルク | 53.3kgfm/-rpm (53.2kgfm/5,500rpm) | 全幅 | 1,810mm |
ギャラリー | 対応 | 吸気形式 | NA | 車両重量 | 792kg/46:54 |
入手方法 | カスタム/チューン制限 |
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ディーラー | Cr.2,000,000,000 | カスタム | ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可 |
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- 330P4は、フェラーリが1967年に、WSC(世界スポーツカー選手権)のGTプロトタイプクラスに送り込んだレーシングカーである。
- この車の開発には、1966年のル・マン24時間レースでの惨敗が背景にあったと言われている。その年、5台を製造する予定だった新車330P3は3台しか完成しておらず、さらに決勝ではバックアップ要員として用意したプライベーターチームの365P2共々、プロトタイプクラスに出場した全車がマシントラブルによりリタイヤ。完走したフェラーリのマシンはGTクラスの275GTB/Cがわずかに2台というありさまだった。ワークスだけで8台ものMark IIを投入し、1-2-3フィニッシュを決めたフォード勢とは対照的な結果である。
- この車の開発には、1966年のル・マン24時間レースでの惨敗が背景にあったと言われている。
その年、5台を製造する予定だった新車330P3は3台しか完成しておらず、更に決勝ではバックアップ要員として用意したプライベーターチームの365P2共々、プロトタイプクラスに出場した全車がトラブルによりリタイヤ、完走したマシンは2台の275GTB/Cのみという有り様だった。
ワークスだけで8台ものMark IIを投入し、1-2-3フィニッシュを決めたフォード勢とは対照的な結果である。
- 1967年の2月、WSCの初戦として組み込まれていたデイトナ24時間レースで、目下のライバルとされたフォードMark IIBやシャパラル勢が続々と脱落したことにより330P4が1-2フィニッシュ。さらにプライベーターチームの412P(330P3を元に一部のパーツをアップデートしたマシン)が3位に入ったことでフェラーリは敵地アメリカで表彰台を独占、昨年のル・マンで受けた屈辱をそっくりそのままフォードに味わわせる形となった。
- フォードはこの地元での惨敗を受けて新車Mark IVの開発に着手、フェラーリを再びヨーロッパの地で打ちのめすことを目標に熟成を重ねた。
- 1967年のデイトナ24時間レースで、目下のライバルとされたフォードMark IIBやシャパラル勢の脱落により330P4が1-2フィニッシュ。
更にプライベーターチームの412Pが3位に入った事でフェラーリは敵地アメリカで表彰台を独占、昨年のル・マンでの汚名を返上した。
フォードはこの地元での惨敗を受けて新車Mark IVの開発に着手、フェラーリを再びヨーロッパの地で打ちのめす事を目標に熟成を重ねた。
- 迎えた1967年のル・マン24時間レースではフェラーリ勢が4台の330P4と3台の412Pを、フォード勢が4台のMark IVと3台のMark IIBを用意。決勝ではフォード勢が同士討ちやマシントラブルにより多数のリタイアを出したものの、唯一ノートラブルで走りきったMark IV1号車が優勝。330P4はかろうじて2位と3位に入ったものの、絶対的なスピードではMark IVの相手になってはいなかった。
- この後ル・マンにおけるプロトタイプクラスは排気量上限が制限されることとなりフェラーリはルマンにおけるワークス活動を一時終了させ、戦場のなくなった330P4は2台が350Pへと改装されCam-Amへと戦いの場を移した。尤も、ライバルが軒並み6~7リッターという大排気量エンジンを使う中4.2リッターエンジンでは話にならず目立った戦績は残せていない。
- 迎えた1967年のル・マン24時間レースではフェラーリ勢が4台の330P4と3台の412Pを、フォード勢が4台のMark IVと3台のMark IIBを用意。
決勝ではフォード勢が同士討ちやマシントラブルにより多数のリタイアを出したものの、唯一ノートラブルで走りきったMark IV1号車が優勝。
330P4はかろうじて2位と3位に入ったものの、絶対的なスピードではMark IVの相手になってはいなかった。
- 330P4は、前年の330P3をベースに唯一のオープンボディ仕様として製造されたC/N(シャシーナンバー):0846と、新規に製造されたC/N:0856,0858,0860の合わせて計4台しか造られておらず、さらに0846は1967年のル・マン24時間レースで出火によりリタイヤ、その後使用可能なパーツのみを残し廃棄された。この車体は現存していないとされてきたが、フェラーリファクトリーのスクラップ置き場にあった0846シャーシを元レースドライバーのデビッド・パイパーが回収し、スペアパーツを組み合わせてP4のレプリカを作り上げ、後にエンツォ・フェラーリよりそのレプリカはC/N:0900の認可を受けたという資料がある。
- この後ル・マンにおけるプロトタイプクラスは排気量上限が制限される事となりフェラーリはル・マンにおけるワークス活動を一時終了。
戦場のなくなった330P4は2台が350Pへと改装されCam-Amへと戦いの場を移した。
尤も、ライバルが軒並み6〜7Lという大排気量エンジンを使う中、4.2Lエンジンでは話にならず目立った戦績は残せていない。
- 流麗なボディデザインや戦績からフェラーリの中でも特に人気の高いマシンであり、数多くのレプリカが存在する。その中には解体された330P4のパーツを一部流用したり、本物の330P4の図面を使用して製作された個体も確認されている。
- 330P4は、前年の330P3をベースに唯一のオープンボディ仕様として製造されたCN.0846と、新規に製造されたCN.0856,0858,0860の合わせて計4台しか造られておらず、さらに0846は1967年のル・マン24時間レースで出火によりリタイヤ、その後使用可能なパーツのみを残し廃棄された。
この車体は現存していないとされてきたが、フェラーリファクトリーのスクラップ置き場にあった0846シャーシを元レースドライバーのデビッド・パイパーが回収し、スペアパーツを組み合わせてP4のレプリカを作成、その後エンツォ・フェラーリよりCN.0900の認可を受けたという資料がある。
- 収録モデルの330P4はオープンボディ仕様であるため上記のC/N:0846がモデルになっているのだろうが、この個体は製造されてから解体されるまで、出場したレースでゼッケン#21をつけたことはない。おそらく前述の0900を参考にモデリングが行われたものと思われる。
- 流麗なボディデザインや戦績からフェラーリの中でも特に人気の高いマシンであり、数多くのレプリカが存在する。
その中には解体された330P4のパーツを一部流用したり、本物の330P4の図面を使用して製作された個体も確認されている。
- 収録モデルの330P4はオープンボディ仕様であるため上記のCN.0846がモデルになっているのだろうが、この個体は製造されてから解体されるまで、出場したレースでゼッケン#21をつけたことはない。おそらく前述の0900を参考にモデリングが行われたものと思われる。
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| | 余談
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- 2016年の「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」で本車種のCN.0856が「グランツーリスモ・アワード」を受賞した。
元々クローズドボディであった0856であるが、後にオープンボディに改造されて現在に至るようである。
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| | GTにおける本車
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- GT5で初登場し、Xシリーズに並ぶ値段で驚いた方も多いだろう。
XシリーズがGT6で14億値下げされたのに対し、こちらは値下げされなかった。そのためGT6収録車両中もっとも高い車の一台となった。
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