|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー|BMW|総排気量|1,271cc|PP|318| |国籍|ドイツ|最高出力|62PS/5,700rpm|全長|3,050mm| |カテゴリ|ノーマルカー/コンパクトカー|最大トルク|9.6kgfm/3,900rpm|全幅|1,410mm| |モデル|簡易|駆動形式|FF|全高|1,350mm| |ギャラリー|非対応|吸気形式|NA|車両重量|720kg/54:46| |内装|簡易|PWR|11.61kg/PS|TM|4速| |>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限| |ディーラー|Cr.1,832,000|カスタム|>|>|ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可&br;ペイントを施してもルーフの白とボンネットのラインは維持される| |プレゼント|---|チューン|>|>|| //-備考: #region(←カラーバリエーションを表示) |>|>|>|>|~カラーバリエーション| |☆''Flame Red''|''Nightfire Red Pearl''|''Volcano Pearl''|''Amaranth Pearl''|''Tahiti Blue Pearl''| |''Almond Green''|''British Racing Green Metallic''|''Hawaiian Blue Metallic''|''Surf Blue''|''Anthracite Metallic''| #endregion ---- #ref(.jpg,nolink) #ref(.jpg,nolink) ---- -ミニは、イギリスのブリティッシュ・モーター・コーポレーション(略称BMC)が生んだ大衆車である。 後年発売されたBMW製のミニと区別するため、オリジナル・ミニと呼ばれることがあるが、本項においてはオリジナル・ミニを「ミニ」と呼称する。 自動車としての必要最小限を形にしたミニは、登場当時は革命的とまでいわれた。 長く低迷したイギリスの自動車業界の状況を反映し、生産、販売会社の名前は幾度も変わったが、1959年から2000年まで基本構造を変えることなく生産が続けられた長寿モデルである。 -その革命的なメカニズムとは二階建て構造のパワートレインにあり、横置きミッションの上に横置きエンジンを搭載したレイアウトで、開発者の名を取り「イシゴニス・レイアウト」と呼ばれている。 この構造を採用したことにより非常にコンパクトなパワートレインを実現でき、車の大幅な小型化を実現した。 イシゴニス・レイアウトが初となる横置きエンジンのFF車は形を変えて、現在生産されているFF車の大部分を占めている。 -駆動と旋回を同時に前輪が受け持つFF車はフロントのジョイントが非常に重要であるが、ミニにとって幸運だったのは、この時期にイギリスのバーフィールド社によって開発された「バーフィールド・ツェッパ・ジョイント」を採用することができたことである。 このジョイントは、完全な実用性を備える量産型のボール式等速ジョイントであるため、FF車の完成度を実用レベルに高めることができた。 ミニの生産期間や台数は[[フォルクスワーゲン・ビートル>1200 '66]]に劣るが、その影響力たるやビートルをも上回るほどであり、自動車の歴史に名を残す名車であることは疑いの余地はない。 -スエズ動乱が中東で勃発し、石油価格の高騰が先進国を直撃していた当時、BMCの経営責任者だったサー・レオナード・ロードは開発陣に「極めて経済的な4人乗り小型車を早急に開発すること」を命じたが、当時、BMCがラインナップしていた中で最も小型であったAシリーズ4気筒エンジンが使用されるのは必然であった。 ミニの設計を担当したアレック・イシゴニスは、全長3mほどに過ぎないコンパクトなボディに4気筒エンジンを収めるため上記二階建て構造のパワートレインを採用し、現在の小型車の定番になっている横置きエンジン、前輪駆動、2ボックススタイル(ハッチバックではなく、独立したトランクを持っていた)という、1950年代後半としては画期的な成り立ちの自動車として設計されたのである。 -1959年に完成したミニの操縦性は様々な事情により非常に機敏なもの、言い換えれば「ゴーカートのようなハンドリング」と評された。 ミニの設計者イシゴニスの友人であったジョン・クーパーはミニの驚異的なハンドリングに着目して、イシゴニスと共同で、機敏で経済的で、しかも安価な車を作ることを決意した。 その成果として、1962年に誕生したのが「オースチン・ミニ・クーパー」と、「モーリス・ミニ・クーパー」で、現代まで続くミニ・クーパーの元祖である。 -GT6収録のミニ・クーパーは通称MK 10と呼ばれる最終モデルである。 この最終モデルでは現代的なSRSエアバッグと、サイドインパクトバーまで採用され、すでに生産台数の大半が日本向けとなっていたこともあり、日本市場が求めるニーズに対応したものとなっている。 -1994年以降はドイツのBMWが、ミニにまつわる権利を手中にしたことから、新型ミニはBMW主導で傘下のローバーが中心となって開発されることとなった。 そして、その後継モデル完成が見えてきた2000年10月、ミニの生産は終了されることとなった。 その総生産台数は530万台とも言われている。 -それから約1ヶ月半後の2000年12月24日、ジョン・クーパー氏はこの世を去った。享年77歳。 彼の人生は「ミニクーパー」と共にあったと言えるだろう。 ---- #region(派生モデルの解説) -余談だが、サブフレームの上に走るための仕組みが全て詰まったミニのパワートレインは、バックヤードビルダーと呼ばれる小規模な自動車メーカーや、安価なレーシングカーを望むプライベーターなどには打ってつけで、たちまちのうちに引っ張りだことなった。 これらは資料が残っているものだけでも120種以上あるとされ、[[ミニ・マーコス>ミニ マーコス GT '70]]のようにGT5に収録されているモデルも存在する。 --中には、ビーチバギー仕様の[[ミニ・モーク>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%AF]]というモデル(ちなみにどっかのカスタマーの改造車などではなく、れっきとした純正モデルである)もラインナップされていた。 #endregion ---- |