• 追加された行はこの色です。
  • 削除された行はこの色です。
|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):60|330|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|250|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):100|140|c
|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c
|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー|ランボルギーニ|PP|512|全長|---mm|
|国籍|イタリア|総排気量|3,939cc|全幅|---mm|
|カテゴリ|スーパーカー|最高出力|355PS/7,000rpm|全高|---mm|
|モデル|''高品質''|最大トルク|37,6kgfm/5,100rpm|車両重量/配分|---kg(980kg)/45:55|
|ギャラリー|''対応''|駆動形式&br;吸気形式|MR/NA|トランスミッション|5速|
|メーカー|ランボルギーニ|総排気量|5,994cc|PP|593|
|国籍|イタリア|最高出力|600PS/7,000rpm|全長|4,705mm|
|カテゴリ|レーシングカー/JGTC-GT500|最大トルク|70.0kgfm/5,500rpm|全幅|2,040mm|
|モデル|簡易|駆動形式|MR|全高|1,040mm|
|ギャラリー|非対応|吸気形式|NA|車両重量|1,200kg/47:53|
|内装|簡易|PWR|2.00kg/PS|TM|6速|
|>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限|
|ディーラー|Cr.1,500,000,000|カスタム|>|>|ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可|
|プレゼント|---|チューン|>|>|---|
//-[[GT5での「---」についてはこちら>]]
//-備考はここ
#region(←カラーバリエーションを表示)
|>|>|>|~カラーバリエーション|
|(色名なし)オレンジ|---|---|---|
|---|---|---|---|
|ディーラー|Cr.75,000,000|カスタム|>|>|ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可|
|プレゼント|---|チューン|>|>|エンジンチューン・ターボキットのみ可|
//-備考:

----
-本車は[[ランボルギーニ・ディアブロ>ディアブロ GT '00]]のJGTC仕様車である。
--なお、この車は"ティームJLOC"がディアブロ・イオタに次いでJGTCに投入した二代目ディアブロになる(ティームとしては[[カウンタック>カウンタック 25th アニバーサリー '88]]以来三代目)。

-この各種レース仕様のディアブロであるが、「ティームJLOCが市販ディアブロを改造した...」などでは無く、ランボルギーニ本社がJLOCの為だけに特別に仕上げたワンオフのスペシャルモデルなのである。
--ランボルギーニは長らく市販車ベースでのレース活動(F1へのエンジン供給以前はレース活動そのもの)を創始者フェルッチオ・ランボルギーニ の意向で禁じられてきたが、このJLOCとの関係を機についにGTレース活動を開始することになる。

-初期型イオタこそ市販車の延長線上程度の車体であったが、年々の進化の結果GT-1では桁違いの中身を得ることとなる。
一皮剥けばほぼ"プロトタイプ・レースカー"とでも言うべき車体(当然と言えば当然で車体作成は'90年のF1世界選手権で鈴木亜久里氏を表彰台に押し上げたラルースF1チーム(ランボルギーニエンジン搭載)の元スタッフが手がけた物)にランボルギーニF1元エンジニアが仕上げた超ド級V12エンジン搭載という破格のもの。
特にエンジンに至っては'90年代半ばの技術ではGT500スペックにどうあがいても抑えきれず、結局はGT500仕様でも軽く600馬力超え、という代物であった。

-オーバーパワー故に各所に性能調整を施されたGTディアブロは本来のコーナリング性能を引き出せず、尚且つ大排気量高出力エンジンの宿命ともいえる最悪の燃費性能ゆえにレースでは下位に沈むことが多かった。
それでもGT500トップのハイパワーを生かした直線番長ぶりとF1エンジンと聞き比べても遜色ないV12エンジンの奏でるエキゾーストノートは数多くの人気を獲得した。
--ちなみにグランツーリスモ内ではそれほど性能調整は感じられず、GT500並みの走りは(同格馬力にパワーリミッターで調整したとしても)他に比べてやや重いが十分に可能。

-JGTCでは真価発揮にはほど遠かったGTディアブロではあったが、GTAの足枷の外れた2000年の鈴鹿1000km耐久(当時はJGTCシリーズ外)で本領発揮、ランボルギーニGT世界初となる表彰台(3位)を射止めている。
----
#region(JLOCについて)
-JLOCとは Japan Lamborghini Owner's Clubの略。ランボルギーニでレース参戦することに心血を注ぐ"ティームJLOC"の母体である。
詳しくは[[JLOC.net>http://www.jloc-net.com/]] や [[Wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/JLOC]]を参照。
//なお、「ティーム」という書き方は本家JLOCスタッフの使用している呼称なので修正されないで頂きたい。

-なお、JLOCとランボルギーニ本社との関係は今も続いており、[[ムルシエラゴ>ムルシエラゴ LP 640 '09]]をベースにした"ムルシエRG-1"をJLOCに供給していた他、現在も[[ガイヤルド>ガヤルド LP 560-4 '08]](("ガイヤルド"はガヤルドのティーム表記。イタリア発音だとガイヤルドの方が近い。))にてレース参戦を続けるJLOCを支援し続けている。
#endregion
----
//#ref(.jpg,nolink)
//#ref(.jpg,nolink)
#region(余談)
-本車の初登場はグランツーリスモ3だが、その時はまだランボルギーニのライセンスを取得していなかったため、海外版で収録を外れ、その後もしばらく収録されない状況が続いていた。
しかし、GT5にてランボルギーニ車が本格的に収録されると、本車も復活収録を果たした。
--前作でスタンダードカーだったカウンタックが([[LP400>カウンタック LP400 '74]]と[[25th アニバーサリー>カウンタック 25th アニバーサリー '88]]の両車共に)本作でプレミアム化を果たしたため、現在ランボルギーニ車でスタンダード相当のクルマは本車だけである。

-内装がブラックアウトされたスタンダードモデルとしては大変珍しく、シフトチェンジの際にドライバーがしっかりとシフトチェンジのモーションをとっている(右手を動かしている)。
#endregion
----
-1963年、フェラーリに対抗すべく創業となったランボルギーニ社にとって初めてのフラッグシップモデルといえるクルマである。
1965年のトリノショーで4リッターV12をミッドに横置きしたベアシャーシが発表され、翌1966年3月のジュネーブショーで当時ベルトーネに就任したばかりのマルチェロ・ガンディーニによるデザインのボディを架装し発表されるや、その流麗なスタイリング・当時ロードカーとしては珍しかった大排気量MRレイアウトが注目の的となり、オーダーが殺到した。
ミウラの名は著名なスペイン闘牛飼育家ドン・アントニオ・ミウラにちなんで命名された。
-現代では考えられないことだが、ジュネーブショー出展時のミウラは当初の完成度が市販車としては高くなかったにもかかわらず、多数のオーダーに押される形で、''問題点が解決されないまま''大まかな仕様を決めて生産を開始してしまった。
そのため、モデルごと、もっと言えば1台ごとに機能改良や不具合修正する形で徐々に完成度を上げてゆき、現在に残る名声を勝ち得ている。
-GT5収録の本モデルは、僅か2台しか製作されなかったプロトタイプの内の1台である。
しかも、もう1台のプロトタイプはテスト中に全損事故を起こして廃棄されており、これが現存するたった1台のプロトタイプである。
67年製のクルマとは思えない程のベストコンディションであり、ボルト1本に至るまで完全にオリジナルのものが使われているとの事。
その貴重なミウラを手にしたオーナーの名前はJ.W.マリオット。世界的なホテルグループ、マリオットインターナショナルの創業者である。
#hr
-ランボルギーニの公式な区分としては初期型のP400、P400S(単にSともいわれる)、P400SV(同様にSVとも)と3つの時代に区切られ、1973年に生産終了となるまでの総生産台数は約750台といわれている。



    ホーム 一覧 単語検索 最終更新 バックアップ   ヘルプ   最終更新のRSS