|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー|スバル|総排気量|cc|PP|237| |国籍|日本|最高出力|15PS/rpm|全長|mm| |カテゴリ|ノーマルカー/クラシックカー|最大トルク|20.9kgfm/6,400-6,600rpm|全幅|1,775mm| |モデル|''高品質''|駆動形式|RR|全高|mm| |ギャラリー|''no''|吸気形式|NA|車両重量|1,230kg/53:47| |内装|再現|PWR|6.11kg/PS|TM|3速| |>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限| |ディーラー|Cr.3,600,000|カスタム|>|>|ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可| |プレゼント|---|チューン|>|>|---| //-備考: #region(←カラーバリエーションを表示) |>|>|>|>|~カラーバリエーション| |''rl''|''''|---|---|---| #endregion ---- #ref(image.jpg) ---- •1958年から12年間にわたって製造されたスバルの軽自動車で、大衆車の歴史を語る上で、欠かすことのできない日本の名車である。 •当時、戦後間もない日本の庶民にとって自動車はとても高価なモノだと考えられていたが、このスバル360がその常識を覆したといっても過言ではないだろう。 通商産業省(現経済産業省)が策定した「国民車構想」の内容をはるかに上回る内容(さらに低価格であったこと)は、国内に大きな衝撃を与えたのである。 そしてコンパクトで独特なボディデザインから「てんとう虫」というあだ名がつけられ、多くの国民から愛されることになる。 •当時の技術では高品質なFF車を低コストで生産することができなかったためRRレイアウトを採用し、安価で十分な実用性を備えた車内は大人が4人乗っても快適な居住性を確保した。 限られたパワーを生かすため無駄を排した軽量な車体は当時としては例がなかったモノコック構造が採用されている。 また、高コストであるが敢えて4輪独立懸架構造を採用したサスペンションは優れた乗り心地を実現した。 さらに、当時のタイヤが軽自動車にマッチするものがなかったため専用の10インチタイヤを新規に開発させたことも画期的な判断であった。 •当時の軽自動車はコストダウンありき(よって、ありあわせの部品を組み合わせて設計する)である車種がほとんどであるのに対し、「当初から軽自動車」であることを前提に設計された本モデルの先進性は計り知れないものがある。 約39万2000台が生産され、12年もの長いモデルライフを過ごしたスバル360であったが1969年に後継モデルであるスバルR-2にバトンタッチする形で生産が終了した。 //-↓---:--- //#ref(.jpg,nolink) ---- ---- #region(余談) •本モデルの顧客第1号は松下幸之助氏(現パナソニック創業者)であることは有名な逸話で、当時、反響がいかに高かったかを示す証左でもある。 また、本モデルで採用された「スバルの六連星」のエンブレムは、デザインの変遷を経て、現在も富士重工業のマークとして踏襲されている。 •派生モデルとして1961年に登場した軽貨物車スバル・サンバーはRRレイアウトを踏襲し、幾度化のモデルチェンジを経て2012年2月まで存続することとなった。 なお、サンバーの生産終了を以って、「スバルが自社開発した軽自動車」は消滅することとなってしまった。 #endregion ---- |