>このページは未完成です 重量配分・PWR・TM・カスタム/チューン制限 |CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー|ジャガー|総排気量|4,994cc|PP|582| |国籍|イギリス|最高出力|509PS/7,600rpm|全長|4,483mm| |カテゴリ|プロトタイプレーシングカー/WSCC-GT Prototype|最大トルク|53.4kgfm/6,300rpm|全幅|1,854mm| |モデル|''高品質''|駆動形式|MR|全高|965mm| |ギャラリー|''対応''|吸気形式|NA|車両重量|998kg/:| |内装|再現|PWR|.kg/PS|TM|速| |>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限| |ディーラー|Cr.2,000,000,000|カスタム|>|>|ペイント:可/不可、ホイール交換:可/不可、エアロ装着:可/不可| |プレゼント|---|チューン|>|>|| //-備考: ---- #ref(.jpg,nolink) #ref(.jpg,nolink) ---- -1960代中頃、ジャガーがル・マン24時間レースに参戦するために総力を挙げて開発した、世界にたった1台しか存在しない幻の名車。 -エンジンは当時最新鋭で、後のジャガー12気筒エンジンの基となった5.0LV12DOHCエンジンを搭載。 最高出力は500馬力を超え、同世代の[[330P4>330 P4 '67]]や[[Mark IV>フォード Mark IV レースカー '67]]と互角以上に渡り合える性能を持っていたとされている。 -しかし、XJ13がル・マンに出場する事はなかった。BMCとの合併騒動でレース活動が停止されてしまったためである。 また、当時のジャガー代表がV12エンジンの存在が外部に漏れる事を恐れ、XJ13のサーキット走行を禁止したという事もある。 諦めきれなかった開発チームはその後も開発とテスト走行を続けるが、1967年夏にFIAがプロトタイプレーシングカーの排気量を3000ccに制限すると発表。こうしてXJ13は、ル・マンへの参戦が完全に不可能となった。 -1971年、ジャガー首脳陣はV12SOHCエンジンの販売促進用のプロモーションに、保管されていたXJ13を利用する事を思い付く。 1972年に5年ぶりにサーキットを走行する事になったXJ13だが、ろくなメンテもされずに放置されていたものがまともに走れるはずもなく、リアホイールの破損により255km/hでクラッシュ・大破してしまった。 これを嘆いた関係者は、苦心の末に開発したXJ13を破棄する事ができず、修復を決意。実に2年以上もの歳月を掛けてほぼ完全な形に修復した。 -現在XJ13は、イギリスのジャガー本社工場内にある資料館に丁重に保管されている。ル・マンを走行する事はなかったが、エンツォ・フェラーリ(元フェラーリ社長)に''世界一美しいクルマ''と言わしめたほどの流麗なボディデザインと、そのあまりにも悲劇的な開発経緯から、最も人気の高いレーシングカーの一つとして語り継がれている。 ---- #region(余談) -2009年7月、イギリスで開催される『Goodwood festival of speed』に、この幻の名車が出場している。 ちなみに運転したのはグランツーリスモの生みの親である山内一典氏。これが本作に登場するきっかけだと思われる。 #endregion ---- |