Top > トヨタ スープラ 3.0GT ターボ A '88

-総排気量:2954cc
-最高出力:270ps(262ps)/---rpm(6000rpm)
-最大トルク:36.50kgfm(35kgfm)/---rpm(3000rpm)
-駆動形式:FR
-全長:4620mm
-全幅:1745mm
-全高:1300mm
-車両重量:1530kg
-重量バランス:60対40
-価格:Cr.4,051,000
-Lv:3
-PP:429
-備考:トランスミッションは5速
-備考:リトラクタブルライトが開いた時(パッシングや、ライト点灯時)内装視点からリトラクタブルライトが見えないバグがVer1.10で修正された
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-[[2代目セリカXX>トヨタ セリカ XX 2800GT '81]](海外名:セリカ・スープラ)の後継モデルとして1986年に登場した3代目スープラ(A70型)は、国内において初めてスープラを正式に名乗ったモデルとなった。
-[[2代目セリカXX>トヨタ セリカ XX 2800GT '81]](海外名:セリカ・スープラ)の後継モデルとして1986年に登場した3代目スープラ(以下、70スープラ)は、国内において初めてスープラを正式に名乗ったモデルとなった。
スープラ(SUPRA)とはラテン語で「超えて」「上に」の意である。
かつての名車[[2000GT>トヨタ 2000GT '67]]を意識し、発売当時のキャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」だった事からも分かるように、本モデルは先代に比べてスポーツ色を強めたモデルとなった。例えば、4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンションの採用は、2000GT以来のことである。

-開発主査は「侍中の侍」と呼ばれた和田明広主査。
和田はスープラをソアラのようなグランドツアラーではなく、本格的なスポーツカーを目指し、50偏平のスープラ専用タイヤの採用やセリカXXと比べて50%以上強化されたボディとシャシー、54:46という重量配分など細部に渡って徹底された。
特にボディやシャシー、足回りについてはヨーロッパレベルを意識した開発が行われ、アウトバーンでの高速走行試験なども行われた。

-この70スープラに搭載されたエンジンは最終的に6種類も存在し((ただし入れ替わりが激しく、全てのエンジンバリエーションが同時に販売されていた時期はない。))、多種多様なグレードが存在していたが、大きく分けて2Lエンジン(1G-GTE型)と3Lエンジン(7M-GTE型)、加えて3Lエンジンと入れ替わる形で登場した2.5Lエンジン(1JZ-GTE型)に区別される。

-1988年8月のマイナーチェンジで3Lモデルが海外仕様と同等にワイド化され、同時に収録モデルの「3.0GT ターボ A」が500台限定で登場した。
本車はグループAで認められているESと呼ばれる特別装備のホモロゲーション取得用モデルで、その名の通りターボAタービンと呼ばれる専用ターボチャージャーを搭載したモデルである。
そのため、一般モデル(3.0GTターボ)と比較して30ps増した最高出力は270psを誇り、当時の国産車で最高レベルであった。
外観での他モデルとの大きな違いは、「ターボAダクト」と呼ばれたフロントバンパーセンター部の特徴的な3連ダクトなどがよくわかる。
なお、ボディカラーとホイールは共に黒のみであった。
当のグループAではデビューウィンこそ飾ったものの、その後は3Lという大排気量エンジンが仇となり、ライバルの[[R32>日産 スカイライン GT-R Vスペック II (R32) '94]]等を前にして苦戦したため、1990年を最後に撤退してしまった。

-1990年8月のマイナーチェンジによる3Lターボモデル消滅を機に、新開発の[[2.5Lツインターボモデル>トヨタ スープラ 2.5GT ツインターボ R '90]]を投入し、最高出力280psを達成した。
なお、本エンジン(1JZ-GTE型)はその後長きにわたりトヨタのスポーティーモデルに幅広く搭載されることとなる。

-そして1993年にフルモデルチェンジし生産終了。本車のイメージとはガラリと変わった[[JZA80型>トヨタ スープラ RZ '97]]が誕生したのだった。
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-GT4ではフロントバンパーにネームプレートが装着されていた。((GT6と本作では外されているが、2作後のGT SPORTで再び装着された))

-グループB廃止後、トヨタ陣営はグループAでWRCに参戦しようとしていたが、WRCホモロゲーション取得モデルである[[ST165型セリカ>トヨタ セリカ 2000GT-FOUR (ST165) '86]]が5,000台の販売規定を1987年にクリアできず1988年までずれ込んだため、'87年から'88年に渡ってこのスープラで参戦していた。'87年はテスト参戦、'88年はセリカGT-FOUR切り替え前までという事もあり全戦という訳では無かった。
前期型のナローボディ7M-GTEU搭載モデルを使用し最高出力は410psを発揮。しかしラリーへの参戦を前提とした車ではない事もあり1勝もできずに終わったが1987年には表彰台に食い込む善戦(3位・第3戦サファリ)もあった。

-ちなみに参戦車種の中にはちらほら2WD車が混ざっているが、4WDで出場した[[ランチア デルタ>ランチア デルタ HF インテグラーレ ラリーカー '92]]のほぼワンサイドゲームであり、'87年は13戦9勝、'88年はマニファクチャラー・ポイント対象11戦中10勝と圧倒している。
上位3台にデルタが登場しないラリーもあったが、そのラリーは普通のラリーと形式が異なりマニファクチャラー・ポイント対象外のイベントであり、デルタ勢がワークスエントリーしていないという落ちがあったりする。スープラが表彰台に乗ったラリーもそのうちの1つである。

-限定車ということで補修部品は品番指定では買えず、部品共販に車検証を持っていく事で購入出来たのだが、ターボAタービンだけは壊れた現物を持っていかなければ購入出来なかった。
というのもOptionが純正流用特集にて「ターボAのタービンはすっげぇ利くぜ!」と記事にしてしまい、日本に500台ちょっとしか存在しないはずなのに、考えにくい数のタービンが出回ってしまった。本当に補修部品であれば、あまりにもブロー個数が多いという事になるため調査した結果、1枚の車検証から何十基ものターボAタービンが販売された事が発覚し、結果このような処置となった。
ただタービン以外でも、ターボAのECUユニットなど、MA70型スープラやMZ20型ソアラに流用出来るパーツは多かったため、M型エンジンに強いショップには、この処置がなされた後でも車検証がストックしてあったとか。
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-GT5での車内機能
ダッシュボードの時計、オドメーター、トリップメーターは機能している。凝ったことにアナログメーターの回転まで再現されている。
トリップメーターは10m毎にカウントされているので、ぐるぐる回る様子が視認しやすい。…が、普通は100m毎なのでバグだろうか。
//-解説
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-カラーバリエーション:Black

IP:180.5.53.67 TIME:"2018-12-22 (土) 17:09:27" REFERER:"http://wikinavi.net/gran-turismo5/index.php?cmd=edit&page=%A5%C8%A5%E8%A5%BF%20%A5%B9%A1%BC%A5%D7%A5%E9%203.0GT%20%A5%BF%A1%BC%A5%DC%20A%20%2788" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (iPhone; CPU iPhone OS 12_0 like Mac OS X) AppleWebKit/605.1.15 (KHTML, like Gecko) Version/12.0 Mobile/15E148 Safari/604.1"


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