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-総排気量:4494cc
-最高出力:500ps(486ps)/---rpm(7000rpm)
-最大トルク:52.00kgfm(50kgfm)/---rpm(5500rpm)
-駆動形式:FR
-全長:4800mm
-全幅:2000mm
-全高:---mm
-車両重量:1100kg(1100kg)
-重量バランス:50対50
-価格:Cr.95,000,000
-Lv:20
-PP:595(590)
-備考:()内の数値は購入後のもの
-備考:トランスミッションは6速
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#ref(ニスモ.jpg,nolink)
#ref(ニスモ後ろ.jpg,nolink)

-「デビューウィン」と「シリーズチャンピオン」の至上命令がゴーンCEOから出された2008年シーズンのGT-R。
-この23号車をドライブした本山哲とブノワ・トレルイエはゴーンCEOの期待に応え、開幕戦 鈴鹿を優勝で飾り、第2戦 岡山でもポール・トゥ・ウィンというSUPER GT史上初の2連勝という快挙を成し遂げた。
その後はハンデが重かったため第3戦 富士〜第6戦 鈴鹿1000kmまでは苦しい戦いを強いられノーポイント、第7戦 茂木ではハンデが軽かったもののアクシデントによりノーポイント(後述)。
しかし、第8戦 オートポリスで勝利し、チャンピオンに王手をかけ、そして最終戦 富士では9位に入り、見事2008年シーズンのドライバーズチャンピオンを獲得した(チームチャンピオンは[[トムス>レクサス ペトロナス トムス SC430 (SUPER GT) '08]])。
-第3戦 富士では、第2戦までのウェイトハンディによる115kgと、このレースからGT-R全車に対してさらに30kg分を追加された80kgの特別性能調整(第2戦 岡山時は50kg、第5戦 SUGO後に60kgへ変更)を合わせた195kgのウェイトハンディが課せられた。
レギュレーションによって規定されている搭載上限である100kg分を車両に搭載し、残りの95kg分はリストリクターで対応。そのためGT500クラスの他車に対し最高速が20km/hほど劣っていた。((これに対応するための調整を必要としたことで、08年中に予定されていたエンジン開発は行われなかった。ドライバー曰く500クラスのドライバーに抜かれる際手を振られたり、300クラスを直線で抜けなかったとのこと))
ピットには195kgと書かれたウェイトハンディステッカーが貼られており、車両にも貼る予定だったがこちらへは貼られていない。
またこのレースでは練習走行時のデータをもとに燃費走行に徹して1ストップ作戦を採用している。(レース110周の55周目にピットイン)
-車両前後に付けられた黄色のマーカーはNISMOのもう1台である[[22号車>日産 モチュール オーテック GT-R (SUPER GT) '08]]との識別のために第4戦 セパンから付けられた。
これについてはGTAのドライビングスタンダードオブザーバーである服部尚貴がNISMOの2台をどうしても識別できないのでお願いしたと述べている。
なお22号車側には元々23号車との識別を目的にヘッドライト、ルーフバイザー、ドアミラー、リアウイング翼端板(第2戦から)の色を変えてある。
ちなみにこのタイプのマーキングは05年に22号車が、その後のテストでも時にはNISMOの2台両方に採用されたことがある。(06年のテスト時は23号車に黄色、22号車に緑)
しかしいずれの場合もフロントのみで、範囲も開口部の範囲に限られていたため08年のマーキング方法は異例の方法であった。
なお一般的にはエースカー側にマーキングを施すことはなく、マーキングを施すのはセカンドカーというのが主流である。((2010年及び2011年のFIA GT1の日産陣営においては黄色のマーキングが施されたのは23号車ではなく22号車だった))
-GT500では2000年(当初はハセミのスポンサーとして。01年以降NISMO)から日産のメインスポンサーを務めたザナヴィ・インフォマティクスだが、09年4月1日付で07年から親会社となっていた同業のクラリオン([[24号車>日産 WOODONE ADVAN Clarion GT-R (SUPER GT) '08]]のスポンサー)に吸収合併されたため、XANAVIブランドは消滅した。((それもあって翌年の1号車が前年の22号車を引き継ぐ形になっているかのように見える状態になり、08年チャンピオンが22号車と間違われやすいという非常に紛らわしいことになった))
#hr
-ちなみにニスモは茂木では何故か良いことがあまりない。
2002年はポイント獲得ならず。(以降R34時代)
[[2003年>日産 ザナヴィ ニスモ GT-R (JGTC) '03]]はウエイトが多かったため、重量削減でギリギリまでガソリンを減らした結果、ファイナルラップにガス欠しノーポイント(このシーズン唯一ノーポイント)。
2004年は予選2位から決勝は3位表彰台。(以降Z33時代)
2005年はウェイト70kgの最重量車だったため予選で16位、決勝でも6位に追い上げるのがやっとであった。
[[2006年>日産 ザナヴィ ニスモ Z (SUPER GT) '06]]はクラッシュ。
2007年はARTA NSXとのバトルの末に接触しノーポイント。
2008年はウェイトハンデを下ろすためにペースを落としたら他車と接触して結局ノーポイント。((予選は4番手からのスタートだったが、20kg降ろせてなおかつ一番ポイントを取れる9位を狙ったのが仇となった))(ここからR35世代)
2009年はチャンピオンが懸っていたがタイヤバーストでノーポイント。
2010年はポイントを獲得したもののあまり目立たず。
2011年は予選5番手からスタートし、見事に逆転で優勝を果たしたが、シリーズタイトルは2位でフィニッシュしたS Road MOLA GT-Rに奪われた。
2012年は予選3番手からスタートし、ウエットコンディションに苦戦しながらも6位でチェッカーを受けた。
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