-総排気量:4494cc
-最高出力:500ps(486ps)/---rpm(7000rpm)
-最大トルク:52.00kgfm(50kgfm)/---rpm(5500rpm)
-駆動形式:FR
-全長:4800mm
-全幅:2000mm
-全高:---mm
-車両重量:1100kg
-価格:Cr.95,000,000
-Lv:20
-PP:590(590)
-備考:()内の数値は購入後のもの
-備考:右ドアの「G'ZOX」がv2.00で修正
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#ref(ザナヴィニスモGTR前.jpg,nolink)
#ref(ザナヴィニスモGTR後ろ.jpg,nolink)

-「デビューウィン」と「シリーズチャンピオン」の至上命令がゴーンCEOから出された2008年シーズンのGT-R。
-この23号車をドライブした本山哲(モッティ)とブノワ・トレルイエ(ベンちゃん)はゴーンCEOの期待に応えて見事開幕戦 鈴鹿を優勝で飾ると、その勢いは衰えずに第2戦 岡山でもポール・トゥ・ウィン。
SUPER GT史上初の2連勝という快挙を成し遂げたのである。(GT500での連勝記録は96年の60号車ラーク マクラーレン F1 GTR、98年の23号車ペンズオイル ニスモ GT-Rに続く3例目。11年に23号車モチュール オーテック GT-Rが同じコンビで再度達成)
その後はハンデが重くのしかかったため第3戦 富士〜第5戦 菅生までは苦しい戦いを強いられ、第7戦 茂木ではハンデが軽かったにもかかわらずトラブルによりまさかのノーポイント。
しかし、第8戦 オートポリスで再び勝利し、チャンピオンに王手をかける。
最終戦 富士では9位に入り、見事2008年シーズンのドライバーズチャンピオンを獲得した(ちなみにチームチャンピオンは[[トムス>レクサス ペトロナス トムス SC430 (SUPER GT) '08]])。
-茂木ではニスモは何故か良いことがあまりない。
2003年はウエイトが多かったため、重量削減でギリギリまでガソリンを減らしたためにファイナルラップにガス欠、ノーポイント。(R34)
[[2006年>日産 ザナヴィ ニスモ Z (SUPER GT) '06]]はクラッシュし、2007年はARTA NSXとのバトルの末に接触しノーポイント。
2008年はウェイトハンデを下ろすためにペースを落としたら他者と接触して結局ノーポイント。
2009年はチャンピオンが懸っていたがタイヤバーストでノーポイント。
2010年はポイントを獲得したもののあまり目立たず。
2011年は予選5番手からスタートし、見事に逆転で優勝を果たしたが、シリーズタイトルは2位でフィニッシュしたNo46 S Road MOLA GT-Rに奪われた。尚、第7戦オートポリスから、搭載エンジンがVRH34AからVRH34Bへ変更された。
-第3戦 富士では、第2戦までのハンディウェイトによる115kgと、このレースからGT-R全車に追加された80kgの特別性能調整(第2戦 岡山時は50kg、第5戦 SUGO後に60kgへ変更)を合わせた195kgのハンディウェイトが課せられた。
レギュレーションによって規定されている搭載上限である100kg分を車両に搭載し、残りの95kg分はリストリクターを絞ることで対応した。そのためGT500クラスの他車に対し最高速が20km/hほど劣っていたと言われている。(これに対応するための調整を必要としたことで、08年中に予定されていたエンジン開発は行われなかった)
ピットには195kgと書かれたハンディウェイトステッカーが貼られており、車両にも貼る予定だったがこちらへは貼られずに終わっている。
またこのレースでは練習走行時のデータをもとに燃費走行に徹して1ストップ作戦を採用している。
-車両前後に付けられた黄色のマーカーはNISMOのもう1台である22号車との識別のために第4戦 セパンから付けられた。
これについてGTAのドライビングスタンダードオブザーバーである服部尚貴がNISMOの2台をどうしても識別できないのでお願いしたと述べている。
なお22号車側には元々23号車との識別を目的にヘッドライト、ルーフバイザー、ドアミラー、リアウイング翼端板(第2戦から)の色を変えてある。
ちなみにこのタイプのマーキングは05年に22号車が、その後のテストでも時にはNISMOの2台両方に採用されたことがある。(06年のテスト時は23号車に黄色、22号車に緑)
しかしいずれの場合もフロントのみで、範囲も開口部の範囲に限られていたため08年のマーキング方法は異例の方法であった。
-R35型GT-RのGT500仕様では2011年現在で唯一走行可能な実車が残されており、イベントにおいてデモランやピットワークシミュレーションなどで活躍している。
なお08年シーズン終了後も保存されたGT-Rは本車両のみであるが、最終戦富士のロードラッグ仕様と通常仕様の2台が確認されている。
実際に走行できるのは前者のみで、後者はカラーリング発表会以降確認されていた走行できない展示車(カーナンバーは23だが前後はノースポンサー状態で左側がXANAVIに、右側はカーナンバーを含めて22号車MOTULになっていたもの)がベースだと思われる。
-GT500では2000年(当初はハセミのスポンサー。01年からNISMO)から日産のメインスポンサーを務めた株式会社ザナヴィ・インフォマティクスだが、09年4月1日付で07年から親会社となっていた同業のクラリオン(24号車のスポンサー)に吸収合併されたため、XANAVIブランドは消滅した。(それもあって翌年の1号車が前年の22号車を引き継ぐ形になっているかのように見える状態になった)
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