-総排気量:654cc×4 -最高出力:700ps/9000rpm -最大トルク:62.00kgfm/6500rpm -駆動形式:MR -全長:4782mm -全幅:1994mm -全高:1003mm -車両重量:830kg -重量バランス:49対51 -価格:Cr.526,000,000 -Lv:23 -PP:706 -備考:トランスミッションは5速 ---- #ref(787B前.jpg,nolink) #ref(アールヴァイラー 小路.jpg,nolink) -1992年からのグループCレギュレーション改正によるロータリーエンジンの使用禁止(現在は可)により、1991年がル・マン挑戦への最後のチャンスであると考えたマツダが前年度に参戦した787を改良したマシン。 -まさにマツダの命運を背負って3台(ゼッケン番号18・55・56(うち56号車は前年度型の787を787Bのパーツで部分的に改良したもの)が1991年のルマンに出走したが、レースはメルセデス・ベンツ C11(1・31・32号車)が序盤からトップ3を独占。1989年大会に続き今年もメルセデスがル・マンを席巻するかと思われた。 //前年度である'90はメルセデス欠場。ルマンが世界選手権に組み込まれなかったため。 -しかし新しい規格に基づいて製作されたマシンを使用しているチームで次々にトラブルが発生。新規格車で参戦のプジョーは開始わずか2時間で全滅し、メルセデスもスタートから10時間目に32号車がトラブルで後退。ミハエル・シューマッハ駆る31号車も13時間目にミッショントラブルを訴えて緊急ピットイン、20分を費やしてコースに戻るも5番手に後退した。これらの幸運も重なって、18番グリッドからのスタートだった55号車が大きく順位を上げ、夜には1周遅れながらも4位に付けた。 -マツダチームの車両はその後もトラブルを起こすことなく走行を続け、翌朝までにレース展開は単独トップで走行する1号車C11に続いてジャガーXJR12(2号車)と55号車が2位争いを繰り広げる形となった。「このまま行けば少なくとも入賞は確実だ」との意見も有る中で、マツダチームはその時のスティントを担当していたジョニー・ハーバートにもう1スティント走行させるという賭けに出た。 -その賭けが功を奏し、55号車は単独2位に浮上。さらにトップのメルセデスを追い詰めるため、マツダのアドバイザーであった元F1ドライバー、ジャッキー・イクスの『(1位のメルセデスチームの)ドイツ人は必要以上にリードを求めたがる。こちらがペースを上げれば相手のエンジンに負担をかける事ができる』というアドバイスを受けて更にペースを上げて走り続けた。 -結果、3周先にいた1号車は目論見通りエンジンの冷却系に支障をきたしてリタイヤ。55号車は単独トップに立ち、サルトサーキット362周を走りきって見事日本車初のル・マン総合優勝を勝ち得た。また、マツダワークスカラーの18・56号車もそれぞれ6位と8位で完走を果たし、マツダ製ロータリーエンジンの高い信頼性を見せつける結果にもなった。 -2012年現在でもこのクルマは''『ル・マンで総合優勝を果たした唯一無二の日本車でありロータリーエンジン搭載車』''として語り継がれている。 -ちなみに、この派手なオレンジと緑のカラーはレナウンが「マツダは勝てるはずがないだろう」という考えから、せめて目立つようにしようとした為にこのようになっていると言われている。このカラーリングはマツダ車ではレナウンがスポンサードを始めた'89年の「767B」から始まり'92年の「MX-R01」まで使われている。 -なお、MX-R01以降もマツダスピードとアメリカのコンストラクターのD.T.R.が手を組んで開発されたオープンプロトのクッズ(Kudzu)・DG-3('95)やDLM('96)にもこのカラーが使われている。 -また、このゲームに収録されている787Bの3Dモデルではドライバーの名前が肖像権等の理由のためか実際と異なっており、さらに車体のマーキングなどから「本当の」ル・マン優勝車(787B-002)ではなく、後期に制作されたレストア車を基にして制作されたものであることが判る。 #hr -因みにマツダ787BはIMSAクラスのレギュレーション、IMSA-GTP規定下で製作された車両である(車重830kgが証拠。グループCカテゴリー2規定下なら、最低車重が1000kgになる(1991年規定)ため、787Bは当てはまらない)。 尚、ACO及びFIAは"エンジン形式で最低重量を規定してはいない"ので、"ロータリーだから830kg"は完全な間違い。 //除くSWC規格。エンジン形式で最低重量を規定していたら、グループCの根本が崩れます。 ---- |