- 総排気量:1775cc
- 最高出力:456ps/8000rpm
オイル新品時:478ps/8000rpm
- 最大トルク:50.00kgfm/5500rpm
オイル新品時:52kgfm/5500rpm
- 駆動形式:4WD
- 最高出力:456ps(478ps)/8000rpm(8000rpm)
- 最大トルク:50.00kgfm(52kgfm)/5500rpm(5500rpm)
- 駆動形式:4WD(標準前後トルク配分=35:65/駆動力配分センターデフ標準搭載)
- 全長:3820mm
- 全幅:1700mm
- 全高:1353mm
- 車両重量:910kg
- 価格:Cr.199,381,000
- 重量バランス:45対55
- 価格:Cr.193,163,000(走行距離6037km)
- Lv:16
- PP:556(565)
- 備考:()内の数値はリフレッシュ・OHした際のもの
- 備考:トランスミッションは5速
- グループB最後の二年間にて、ドライバーズタイトル・マニュファクチャラーズタイトルともに決して譲る事なく制し続けた、グループB最強のラリーカー。
- 外見こそ1983年に発表された205とほぼ同じであるものの、ターボで過給されたエンジンをリアミッドシップに横置きし、車体はセミパイプフレームとケブラー樹脂で構成して軽量化、駆動は4WDと、その中身はベース車とは似ても似つかない全く別の怪物マシンであった。
- こうなるともはやプジョーに敵はいなかった。それまで圧倒的な強さを誇っていたアウディを軽々と打ち破ったのである。正に混沌を極めたグループBを象徴する一台と言えよう。
- 代表的なドライバーはアリ・バタネンとユハ・カンクネン。
- 半ば伝説化し、狂気とまで言われたグループB最後の2年間にて、ドライバーズ・マニュファクチャラーズの両タイトルを制した最強のラリーカー。
- 巨大なスポイラーとウイングを搭載し、エンジンは205T16ラリーカーから更にチューンして450馬力にアップ、末期にはブースト圧を上げて540馬力を出した。
更に軽量化のため、車両後部の鋼管パイプフレーム+モノコック構造を完全なパイプフレーム構造に変更している。
- 外観こそベース車の面影を残してはいるが、それはあくまで外観だけであり、中身は縁もゆかりもない全く別のモンスターマシンである。そのコンパクトなボディからは想像もできないほどの凄まじいパワーを持ち、悪路を弾丸のように走り回った。
- 1985年はドライバーズ・マニュファクチャラーズの両タイトルを獲得、86年にはライバルであるランチア デルタS4と激戦を繰り広げた。
- 代表的なドライバーはユハ・カンクネン、ティモ・サロネン、ブルーノ・サビーなど。
- 実はこのマシン、ラリーカーにあるまじき途方もない加速性能を持ち、0kmから100kmへの到達タイムは僅か2秒以下、当時のF1マシンさえも凌いだと言われている。本作でもその加速力は健在であり、GT500マシンでスリップ圏内に入っても追い付けないほどである。
そしてセンターデフ無しの直結四駆なのでターマックでの低速コーナーが大の苦手、とにかく曲がらない。現実でも同様で、ヘアピンで曲がりきれないため一旦バックしたりしていた(特にツール・ド・コルスで顕著)。
- フルタイム4WDの先駆者であるアウディ・クワトロが、"フロントエンジンかつ直結4WD"であるがゆえ強アンダーに悩まされていることを見抜いていた開発者は、プジョー 205 ターボ 16のレイアウトをミッドシップ4WDとし、ビスカスカップリング式の前後輪差動装置(センターデフ)によってそのパワーをフロント:リア=35:65に配分することで、低速コーナーでのタイトコーナーブレーキング現象や4WD特有のアンダーを打ち消そうと考えた、という開発経緯がある。
- 余談だが、グループB廃止によりWRCという戦場を無くした205T16は、巨大なウイングを前後に追加した迫力ある姿でパイクスピーク・ヒルクライムに参戦(ターボ圧低下のトラブルなどでグループB時代の好敵手アウディに惜敗)したほか、ホイールベースを延長(マラソンレイド用の巨大なガソリンタンクを搭載するため)するなど、大幅な改造を施した205ターボ16グランレイド(205T16GR)でパリ・ダカールラリーに参戦している。
特にパリ・ダカでは後継機405T16GRと併せて4連覇を達成しており”砂漠のライオン”の異名と共に他チームに恐れられた。
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