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-総排気量:1131cc
-最高出力:25ps(26ps)/3300rpm(3500rpm)
-最大トルク:6.80kgfm(7kgfm)/2000rpm(2000rpm)
-駆動形式:RR
-全長:4070mm
-全幅:1540mm
-全高:1550mm
-車両重量:720kg
-価格:3,812,200(走行距離9392km)
-Lv:0
-PP:223(230)
-プレゼントカー入手:[[B-Lv.3 ワールド・クラシックカーシリーズ>Bスペック Beginner Series#vc0983b7]]をクリア
-備考:()内の数値はリフレッシュ・OHした際のもの
-備考:エアロパーツ装着不可
-備考:トランスミッションは4速
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-第一号車が1938年に生産開始されて足掛け65年、2003年に生産終了となるまでの生産台数はなんと''2,152万9,464台''という途方もない記録を残した伝説の大衆車である。
四輪自動車としては当然世界最多記録となる。
なお、一般に知られる「ビートル」の名は、そのキュートなボディ形状から付けられた愛称である。

-ビートル(本項では、あえてビートルの愛称を用いる、以下同様)が誕生した歴史的な背景には、当時ドイツを制したアドルフ・ヒトラーが国民車構想を打ち出したことに始まる。
ヒトラーは設計者であるフェルディナント・ポルシェに国民車(''フォルクス・ワーゲン'')の条件として、以下のような厳しい条件を提示した。
--頑丈で長期間大きな修繕を必要とせず、維持費が低廉であること
--標準的な家族である大人2人と子供3人が乗車可能なこと
--連続巡航速度100km/h以上
--7Lの燃料で100kmの走行が可能であること
--空冷エンジンの採用
--流線型ボディの採用
--販売価格1000マルク以下であること
-これら全ての条件を満たすのは非常に厳しいものがあったが、2年以上の開発期間をかけて、1938年に最終プロトタイプVW38が完成した。
VW38はRRレイアウトを採用することで大人4名が乗車するスペースに加えて駆動輪のトラクションを確保することができ、さらには空気抵抗を抑制するためデザインされた流線型のボディは「ビートル(カブトムシ)」に似た愛嬌のあるものであった。
こうして完成したVW38はヒトラーによって『KdF-Wagen(歓喜力行団の車)』と名づけられた。
しかし、ヒトラー自身が1939年に第二次世界大戦を勃発させてしまったため、国民車、つまりフォルクスワーゲンが実際にドイツ国民の手に渡ることはなかった。
それらは[[キューベルワーゲン>フォルクスワーゲン キューベルワーゲン typ82 '44]]や[[シュビムワーゲン>フォルクスワーゲン シュビムワーゲン typ166 '42]]等に形を変えて戦場に投入されていった。

-1945年に第二次世界大戦が終結し、ドイツ国内のさまざまな工場や資材は、進駐してきた連合国軍によって収奪され、自国に持ち帰られてしまうような状況であった。
しかし、当時としては極めて前衛的な設計を備えたビートルは幸運にもその標的から免れた。
加えてフォルクスワーゲン生産工場を管理する役目を与えられたイギリス軍将校アイヴァン・ハーストは、ドイツ人の協力的な態度とフォルクスワーゲン車の内容に将来性を感じ、手段を尽くして工場を修復させ、自動車生産を再開させることをもくろんだ。
こうして彼は、残っていたドイツ人労働者らの力でその名の通りの「国民車・フォルクスワーゲン」を、はじめて誕生させたのだった。
フォルクスワーゲン車の本格的な量産はこの時から始まったと言える。
ドイツは1945年5月に降伏しているが、同年中に早くもビートルを1,785台も生産している。

-以後のビートルの歴史は、破竹の勢いと言うべきものであった。
とにかく頑丈で悪路や厳しい気候でも酷使に耐え、材質・工作が優秀で整備性も良く、大人4人を乗せて経済的に高速巡航できるこの車の性能・品質は、1950年代に至ってもなお世界各国の新型小型乗用車に引けを取らないものであった。
アウトバーンでの走行を念頭に置いた100km/h以上で高速道路を連続巡航できる車、というポルシェとヒトラーの進歩的コンセプトは、戦後の先進各国におけるハイウェイ時代到来に、見事に適応したのである。

-その後もビートルは排気量の増加など時代の変化に対応し、当初は1.0Lエンジンであったが、GT5収録の本モデルのように1.1Lとなり、1954年には[[1.2Lモデル>フォルクスワーゲン 1200 '66]]も登場するなど性能を向上させてきた。
ところが、1960年代以降は設計の古さによるスペース・ユーティリティの悪さや、リアエンジンとスイングアクスル式独立懸架による高速走行時の不安定さ、空冷エンジンの騒音などが問題視されるようになった。
しかし、フォルクスワーゲン社は決定的な代替車種開発に失敗し続けて1970年前後は経営困難に苦しみ、1974年に前輪駆動方式の本格的な次世代車「[[フォルクスワーゲン・ゴルフ>フォルクスワーゲン ゴルフ I GTI '76]]」を世に出すまで、旧式化したビートルを主力車種としたまま、改良のみでしのぐことになる。

-ゴルフの登場により旧モデルとなったビートルは、1978年には本国ドイツでの生産を終了し、その後はメキシコの工場で生産が継続された。
排ガス規制の強化が進んだ欧州・米国などの一部地域では車両登録不可などの不遇にも見舞われたが、途上国等ではなお需要が高く国民車として活躍し続けた。
そして、2003年7月30日、メキシコ工場でビートルの最終車両が完成し、総生産台数約2153万を達成して生産終了となった。
細部のアップデートは頻繁に行われたものの基本設計が一貫して変わることがなかったのは特筆すべきことであり、65年間に渡る製品寿命を保った四輪乗用車は、歴史上、他に存在しない。

-以下は生産台数の歴史である。
--1938年:最終プロトタイプVW38が完成し、後年までよく知られるフォルクスワーゲンのスタイルが決定した。
--1964年:累計生産1,000万台に到達。
--1972年2月17日:累計生産1500万7034台に到達し、世界初の大衆車フォード・モデルT(1908〜1927)の1500万7033台という生産記録を追い抜いた。
--2003年7月30日:メキシコ工場でビートルの最終車両が完成し、総生産台数2,152万9,464台を達成して生産終了。
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-カラーバリエーション:Schwarz,Perlgrau



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