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-総排気量:3600cc
-最高出力:608ps/---rpm
-最大トルク:66.30kgfm/---rpm
-駆動形式:MR
-全長:4840mm
-全幅:2000mm
-全高:1125mm
-車両重量:900kg
-価格:Cr.299,961,000(走行距離26km)
-Lv:23
-PP:696
//-備考:
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#ref(GTONE前.jpg,nolink)

-↓エクソンモービルのブランド統一のためか、PSP版GTから「ESSO」のロゴが「EXXON」に差し替えられている。

#ref(GTONE後ろ.jpg,nolink)

-トヨタGT-ONE レースカー (TS020)は、1998年と1999年にル・マン24時間耐久レース参戦を目的として開発されたプロトタイプレーシングカーである。
なお、1998年はLM-GT1クラス、1999年はLM-GTPクラスからの参戦であった。
カラーは1998年と1999年で異なっており、GT5収録モデルは1998年の通称「霜降り」カラーではなく、1999年仕様となる。
--ちなみに過去にGTシリーズで'98年式レースカーが収録されたのはグランツーリスモ2が唯一。

-[[プジョー 905>プジョー 905 レースカー '92]]等を手がけたアンドレ・デ・コルタンツ設計によるTS020はレギュレーションの間隙を突いて、運転席後部のわずかなスペースをトランクだと言い切り、そのトランク内に燃料タンク(レースカーでは100リッター('98年式。'99年式は規定により90リッター)の容量なのをロードカーでは50リッターに縮小してまでトランクスペースを稼ぎ出していた)を設置するなどして徹底的に性能を追求し、カウルをまとったフォーミュラとまで言われるほどの高性能を誇った。
--ちなみに、TS020でル・マンを戦った土屋圭一氏によると、この車の印象は「フォーミュラだよ。あれ(TS020)はフォーミュラカーにカウルが乗っかってるだけ。」と断言している。(GT3発売当時の雑誌インタビューより)
-[[プジョー 905>プジョー 905 レースカー '92]]等を手がけたアンドレ・デ・コルタンツ設計によるTS020はレギュレーションの間隙を突いて、運転席後部の燃料タンク部分(100リットル、'99年式は規定により90リットル)をホモロゲーション取得用のロードカーでは敢えて50リットルに削減し、余った僅かな隙間を''これはトランクである''といい切った。これによりレースカーでは完全にトランクスペースをなくすことに成功し、従来のGTカーに比べて空力性能が大幅に改良された。

-余談だが、'98年式のTS020が既にメルセデスCLK-GTRなど"怪物級GTカー"が主流になり"名ばかりのGTクラス"と化していたLM-GT1クラスを事実上撤廃させ、'99年からのLM-GTPクラスへ改定される契機となった車だと言われている。

-搭載されたエンジンはかつてのターボ時代のグループCカーの流れを持つ3.6リッターV型8気筒ツインターボで、1998年仕様のR36Vで600ps、1999年仕様のR36V-Rでは700psにも達したといわれている。

--余談だが、'98年式のTS020がメルセデスCLK-GTRなど"怪物級GTカー"が主流になり"名ばかりのGTクラス"と化していたLM-GT1クラスを事実上撤廃させ、'99年からのLM-GTPクラスへ改定される契機となった車だと言われている。

-1999年のル・マン本戦、トヨタは必勝体勢を敷き、3台のTS020をル・マンへと送り出し、予選から驚異的な速さを見せ付けた。
ところが、決勝では本命視されていた1号車(スピン>タイヤバースト。4輪全部がバーストしてしまいピットに戻れず、リタイア)に続き、本命のサポート役とされた2号車までもリタイア(周回遅れに追突されてクラッシュ)してしまう。
残された"本命のサポート役のサポート役"とされていた日本人トリオ(片山右京氏・鈴木利男氏・土屋圭市氏)による3号車はこの時点で1-2体制を築いていた[[BMW V12 LMR>BMW V12 LMR レースカー '99]]を追撃することとなる。日本人トリオに全開フルアタックの許可が出たのはようやくこの時だった。
--ちなみにこの日本人トリオ駆る3号車、正確には'99年式では無く、'98年式のシャシーを'99年仕様にアップデートした車(中身のモノコックは前年のエースであるブランドル車そのまま)である。チーム上層部の日本人トリオの扱いの悪さがうかがえる。
残された"本命のサポート役のサポート役"とされていた日本人トリオ(片山右京氏・鈴木利男氏・土屋圭市氏)による3号車はこの時点で1-2体制を築いていた[[BMW V12 LMR>BMW V12 LMR レースカー '99]]を追撃することとなる。この時ようやく、日本人トリオに全開フルアタックの許可が出たのである
--ちなみにこの日本人トリオ駆る3号車、正確には'99年式では無く、'98年式のシャシーを'99年仕様にアップデートした車(中身のモノコックは前年のエースであるブランドル車そのまま)である。

-TS020は構造上リアタイヤに負荷がかかりやすいとされており、300kmオーバーで走行中に左後輪がバースト。
ドライブしていた片山右京氏の奇跡的なドライビングテクニックによりクラッシュは免れるものの、バーストしたタイヤの破片が周辺にダメージを与えており、ピット作業は難航した。このことにより、BMW V12 LMRと決定的な差が開いてしまった。
--事前に前年式BMW駆る周回遅れのプライベーターに進路妨害同然のブロックを受けており(これはトヨタ上層部もBMWに抗議)、このタイヤバーストが無ければ計算上は首位を走るBMWに届いていた。
-しかし、300kmオーバーで走行中に左後輪がバースト(TS020は構造上リアタイヤに負荷がかかりやすいとされている)。ドライブしていた片山右京氏の奇跡的なドライビングテクニックによりクラッシュは免れたものの、バーストしたタイヤの破片が周辺にダメージを与えており、ピット作業は難航した。このことにより、先行するBMW V12 LMRとの間に決定的な差が開いてしまった。
--事故の起こる前にはに前年式BMW駆る周回遅れのプライベーターに進路妨害同然のブロックを受けており(これはトヨタ上層部もBMWに抗議)、このタイヤバーストが無ければ計算上は首位を走るBMWに追いついていた。

-結局、TS020の猛追は叶わず総合2位に終わってしまう。
これは2010年現在も「日本車に乗った日本人トリオ」としてのル・マン最高位である。
-結局TS020の猛追は叶わず結果は総合2位となったが、これは2010年現在も「日本車に乗った日本人トリオ」としてのル・マン最高位である。
また、片山氏が猛追最中に叩き出したタイムは'99年ル・マンのファステストラップを記録し、TS020のパフォーマンスの高さを証明した。

-ル・マン後は'99年に行われた「ル・マン富士1000km」に参戦するが黄旗追い越しのペナルティ(圧倒的速度差で周回遅れを抜きにかかった時に黄旗が振られたもの。ちなみに黄旗の原因は日産R391からのパーツ脱落)やバッテリートラブルなどで日産R391に敗戦し2位に終わっている(もっともこの富士戦、日産はR391を"富士仕様"に調整してきたのに対しトヨタTS020はスポンサーマーキングの微変更以外はル・マン仕様そのままだったと言われている)。'99年以後トヨタはF1参戦へと舵を切り、TS020は自身の最高位を2位として実戦の役目を終えることとなった。
-ル・マン後は'99年に行われた「ル・マン富士1000km」に参戦するが、黄旗追い越しのペナルティやバッテリートラブルなどが災いしまたも2位でのフィニッシュに終わる。'99年以後トヨタはF1参戦へと舵を切り、TS020は自身の最高位を2位としてワークスマシンとしての役目を終えることとなった。

-余談だが、TS020が'98年のル・マンGT1クラスから参戦するために必要だったロードカーは、GT2及びGT3には収録されているものの、残念ながらGT4以降は未収録である。
-余談だが、TS020が'98年のル・マンGT1クラスから参戦するために必要だったロードカー仕様のマシンは、GT2及びGT3には収録されているもののGT4以降は未収録である。
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