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-総排気量:3600cc
-最高出力:608ps(814ps)/---rpm(7500rpm)
-最大トルク:66.30kgfm(87kgfm)/---rpm(6000rpm)
-駆動形式:MR
-全長:4840mm
-全幅:2000mm
-全高:1125mm
-車両重量:900kg
-価格:Cr.292,648,500(走行距離4901km)
-Lv:23
-PP:696(703)
-プレゼントカー入手:[[B-Lv.35 サルトサーキット24時間耐久>Bスペック Endurance Series#r1a766dc]]をクリア
-備考:()内の数値はリフレッシュ・OHした際のもの
-備考:トランスミッションは6速
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-エクソンモービルのブランド統一のためか、「ESSO」のロゴが「EXXON」に、商品名が「Ultron」から「Superflo」に差し替えられている 
-リアウイングの付け根部分の「METEO FRANCE」がバーコードに差し替えられている
#ref(GTONE前.jpg,nolink)
#ref(GTONE後ろ.jpg,nolink)

-トヨタGT-ONE レースカー (TS020)は、1998年と1999年にル・マン24時間耐久レース参戦を目的として開発されたプロトタイプレーシングカーである。
なお、1998年はLM-GT1クラス、1999年はLM-GTPクラスからの参戦であった。

-かつて[[プジョー 905>プジョー 905 レースカー '92]]等を手がけたアンドレ・デ・コルタンツ設計によるTS020は、レギュレーションの間隙を突いて運転席後部の燃料タンク部分(100L、99年は90L)をホモロゲーション取得用のロードカーでは敢えて50リットルに削減し、
余った隙間を''「これはトランクである」''といい切った。これにより完全にトランクスペースをなくすことに成功し、従来のGTカーに比べて空力性能が大幅に改良された。

-搭載されたエンジンはかつてのターボ時代のグループCカーの流れを持つ3.6リッターV型8気筒ツインターボで、1998年仕様のR36Vで600ps、1999年仕様のR36V-Rでは700psに達したといわれている。
--余談だが、'98年に登場したこの車が、マクラーレンF1を切っ掛けとした"怪物級GTカー"が主流になり"名ばかりのGTクラス"と化していたLM-GT1クラスを事実上撤廃させ、'99年からのLM-GTPクラスへ改定される契機となった車だと言われている。

-1999年のル・マン本戦、トヨタ・チーム・ヨーロッパは3台のTS020をル・マンへと送り出し、予選から驚異的な速さを見せ付けた。
ところが、決勝では本命視されていた1号車(スピン→タイヤバースト。4輪全部がバーストしてしまいピットに戻れず、リタイア)に続き、本命のサポート役とされた2号車までもリタイア(周回遅れに追突されてクラッシュ)してしまう。
残された"本命のサポート役のサポート役"とされていた日本人トリオ(片山右京氏・鈴木利男氏・土屋圭市氏)による3号車はこの時点で1-2体制を築いていた[[BMW V12 LMR>BMW V12 LMR レースカー '99]]を追撃することとなる。この時ようやく、日本人トリオに全開走行の許可がでることとなる。
残された"本命のサポート役のサポート役"とされていた日本人トリオ(片山右京氏・鈴木利男氏・土屋圭市氏)による3号車は1-2体制を築いていた[[BMW V12 LMR>BMW V12 LMR レースカー '99]]を猛追。この時ようやく、日本人トリオに全開走行の許可がでることとなる。
--ちなみにこの日本人トリオ駆る3号車、正確には'99年式では無く、'98年式のシャシーを'99年仕様にアップデートした車(中身のモノコックは前年のエースであるブランドル車そのまま)である。

-2号車がリタイアした時点で首位を走るBMWに周回遅れにされていた3号車であったが、他車を圧倒する驚異的なラップタイムを武器に徐々に首位との差を詰めていった。
そして残り1時間、BMW勢に悪夢が起きる。計算上は逃げ切れると思われていた首位を走るBMW V12 LMR・17号車にアクセルが戻らなくなるトラブルが発生しクラッシュ→リタイア。この時点で2位に浮上したトヨタ3号車に逆転の可能性が出てきた。

-しかし追撃していたまさにそのとき、300kmオーバーで走行中に左後輪がバースト。ドライブしていた片山右京氏の奇跡的なドライビングテクニックによりクラッシュは免れたものの、バーストしたタイヤの破片が周辺にダメージを与えており、ピット作業は難航した。(このピット作業が難航した理由にTS020の劣悪な整備性が挙げられることがある)このことにより、先行するBMW V12 LMRとの間に決定的な差が開いてしまった。
--事故の起こる前に前年式BMW駆る周回遅れのプライベーターに進路妨害同然のブロックを受けており(これをトヨタ側はBMWに抗議)、この周回遅れへの対処の為にタイヤに負担をかけたことがタイヤバーストにつながったとする説もある。このタイヤバーストが無ければ計算上は首位を走るBMWに追いついていた。

-結局TS020の猛追は叶わず結果は総合2位(なぜかあまり話題には登らないが、一応''"LM-GTPクラス優勝"''である)となったが、これは現在も「日本車に乗った日本人トリオ」としてのル・マン最高位である。
また、片山氏が猛追最中に叩き出したタイムは'99年ル・マンのファステストラップを記録し、TS020のパフォーマンスの高さを証明した。

-ル・マン後は'99年に行われた「ル・マン富士1000km」に参戦するが、ペナルティやトラブルが災いしまたも2位でのフィニッシュに終わる。'99年以後トヨタはF1参戦へと舵を切り、TS020は自身の最高位を2位としてワークスマシンとしての役目を終えることとなった。

#hr
-以下、余談。
-ル・マン撤退の3年後となる2002年から参戦したトヨタのF1だが、2005年以降はマシンのパフォーマンスの向上や、ヤルノ・トゥルーリなどの活躍で幾度か2位や3位は獲得したものの、シリーズタイトルどころかまたしても最後まで優勝を1回も勝ち取ることができないまま、2009年を最後にF1から撤退してしまった。
その後は再びル・マン参戦へ舵を切り、2012年のル・マン24時間耐久レースでTS020の後継機となるTS030HYBRIDがデビューした。
--ちなみにル・マン本戦ではTS030を2台投入したトヨタのワークスチームであるが、8号車は吹っ飛び大クラッシュを喫し、7号車もエンジントラブルで2台ともリタイヤという結果になった。

-TS020が'98年のル・マンGT1クラスから参戦するために必要だったロードカー仕様のマシンは、GT2およびGT3には収録されているものの、GT4以降は未収録である。

-GTシリーズでは初収録となったGT2以来、一貫して日本人トリオの個体が収録され続けているTS020ではあるが、上記の通り'99年式3号車は'98年式の改良型であり''本当の意味での'99年式TS020はGT史上一度も収録されていない''と言える。例えその差がごく僅かだとしても。
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