|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):90|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c
|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー/国籍|ホンダ/日本|総排気量|2977cc|全長|4,430mm|
|カテゴリー1|N300|最高出力|288PS/7,000rpm|全幅|1,810mm|
|カテゴリー2|ノーマルカー/スポーツカー|最大トルク|31.1kgfm/5,500rpm|全高|1,160mm|
|内装|あり|駆動形式|MR|車両重量|1,230kg|
|年式|1992|吸気形式|NA|TM|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~セッティング他|
|ディーラー|Cr.9,700,000|制限|>|>|---|
|その他|---|特記|>|>|---|
//-備考:

#region(←カラーバリエーションを表示)
|>|>|>|>|~カラーバリエーション|
|Grand Prix White|☆Championship White|Neutron White Pearl|Sebring Silver Metallic|Kaiser Silver Metallic|
|Indy Yellow Pearl|Formula Red|Charlotte Green Pearl|Berlina Black|---|
#endregion
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#ref(nsx_r_92.jpg,nolink)
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-ホンダが1992年に発表したNSXタイプR(以下、NSX-R)は、ホンダのフラッグシップであるNSXの走りをさらに際立たせるモデルとして登場した。
タイプRは、快適性を犠牲にしてでも走行性能をアップさせたモデルを指し、ホンダが選択した最初のモデルはNSX、つまり本モデルがホンダ最高峰のスポーツモデルという位置づけになる。
なお、タイプRのみに許されたボディ塗装色「チャンピオンシップホワイト」と、他のホンダ車と異なるHマークの周囲を赤に変更したエンブレム(通称:赤バッジ)は、かつてホンダがF1参戦した際のF1マシンRA271に由来しており、ホンダにとっては特別な意味を持っている。

-NSXといえば走行時の快適さにも重点をおいた設計で知られているが、NSX-Rでは遮音材、オーディオ機器・エアコンに加えて、一部の不要なメッキ塗装すら取り外し、さらに一部のパーツを軽量なものに換装するなど、グラム単位にまで拘った徹底的な軽量化を追求し、ベースモデルと比較して120kgの軽量化を成し遂げた。
その上でクランクシャフトのバランス取りやポート研磨といったC30A型 V6 DOHC VTECエンジンの性能を引き出す方策が採られ、専用サスペンションの採用などサーキット走行向けのチューニングが施されている。
トランスミッションも軽量化の為に5速MTのみという硬派な仕様であった。
特別装備としてはモモ社製ステアリング、チタン削り出しシフトノブ、レカロ社のカーボン製バケットシートなどで、赤を多用したインテリアが特徴である。

-その研ぎ澄まされた圧倒的な走行性能は初登場から20年近くを経ても全く色あせておらず、最新鋭の国産スポーツカーにも十分対抗しうる非常に素直なステアリングフィールを体感できる。

-当時の新車価格は970万7000円とベース車と比較して100万円以上高く、なおかつ生産期間がわずか3年ほどと短かった。
NSX-Rは1996年に生産を終了しているが、上記の理由(価格及び短い生産期間)により生産台数が少なく、さらにタイプRが持つ性能の高さ、かつブランドイメージの確立により、状態のよい中古車は新車以上の高値で取引されることも珍しくは無い。

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#region(余談)
-前作GT6まではスタンダードモデルだったが、本作で晴れてスーパープレミアムモデルになった。
おそらくツインリンクもてぎの"ホンダコレクションホール"に収蔵されている車両のうち、走行展示で使われている個体をモデリングしたものと思われる(オプションのオートエアコン、ドライカーボン製センターコンソールの他、理由は不明だが後期型のフロントリップが装備されているため)。
--しかし後期型用フロントリップは当然純正状態では装着されていないため、厳密にはフルノーマルの外観ではなくなってしまっているが…
#endregion
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#region(初代NSXのレース活動)
-1994年よりル・マンのGT2クラスに参戦。この車両はエンジンは横置きで3.0L NAのままで、リストリクターを取り付け約400馬力前後という性能になっていた。
この車両はクレマーレーシングが3台運用しそれぞれ総合14、16、18位、翌年はチーム国光と中嶋企画に託され、チーム国光がGT2クラスで優勝する。この時の"日本チーム、日本車、ドライバーが全員日本人"での優勝は2018年のトヨタも成し遂げていない記録である。
1996年は前年優勝のチーム国光のみが参戦しクラス3位の成績を残す。

-1995年にはGT1クラスの車両も制作。3.0Lターボ2台とNAエンジンの仕様が1台が制作されたのだが、NAモデルに関する資料はあまり残っていない。
GT1モデルは、海外仕様のタイプT(タルガトップ=オープンカー)をベースにしている。これは「ルーフを切る分、他の部分でボディ剛性が高められている」ということから小加工でボディを強化できるという理由がある(初期のダッヂ・バイパーGTS-Rや、チームル・マンが走らせていたZ32型フェアレディZも同じ設計思考である)。ターボエンジンの仕様はリストリクターを取り付けて約600PS前後になるようになっていたと言われている。NAの方は資料が乏しいのでなんとも言えないが、後のJGTC仕様と同じくらい(500PS)は出ていたと思われる。全車両エンジン搭載方向は縦置きに改められていた。
しかし、1995年はマクラーレンF1の登場でほとんど勝負にならず、1年で参戦を取り止めている。

-1996年からは全日本GT選手権に参戦を開始したが、初年度はチーム国光にル・マンのGT2仕様をJGTCのレギュレーションに対応するよう改修した車両を提供したのみで、思うような成績を残すことができなかった。

-前年のチーム国光の大苦戦を見たホンダはついにワークス参戦を決意。1997年からは、ベース車両を3.2L化したNA2型NSXに移行。シャシーを童夢、エンジンを無限に任せた無限×童夢プロジェクトとしての参戦を開始した。
-ワークス参戦初年度は無限+童夢projectとチーム国光withムーンクラフトから二台が参戦。
初年度から所々で速さを見せるが、クラッシュやトラブルに泣かされ、思うような結果が出せなかった。

-翌年98年には中嶋企画と無限を加えた4台をエントリーさせ、NAエンジンでは不利になる直線スピードを伸ばすための空力開発などを中心にマシンに手を加え、エンジンも最終的に3.5Lまで排気量を拡大し速さに磨きをかけ、後半戦4連勝を飾ったが、またしてもトラブルに泣かされタイトル獲得はならなかった。
--圧倒的速さを持ちながら、あまりにもトラブルが多発したNSX-GTに対して、当時解説であったレーシングカーデザイナーの某氏は
「速いNSX、強いGT-R」と口にしていたほどである。特に、軽量でコンパクトなフォーミュラニッポン用車両に用いられるミッションを流用したため、GTカーの重さから来る負荷に耐えきれずトラブルを起こすことも多く、「ガラスのミッション」とも呼ばれた。
-99年シーズンはMR勢の最低重量が50kg増加の措置が施されるが(GT300でもMR2が速かった)それでも速さを見せた、しかし前年同様のミッションの弱さなどからポイントを伸ばすことができず、またしてもスカイラインにタイトルを持って行かれたが、2000年、道上龍を有するカストロール無限NSX(16号車)がついにシリーズチャンピオンを獲得した。
レギュレーションの改定でエンジンを縦置きにできるようになる2002年シリーズ終了までは基本構造は変わらなかったが、2000年シーズン頃まではエンジンの搭載位置をできるだけ低く車体の中心に配置できるよう毎年何らかの工夫が施されていた。2003年シーズン以降の車両についてはエプソン NSXのページも参照されたい。

-2001年には、ホンダベルノ東海を展開する会社カーズ東海(後のドリーム28)からGT300クラスに元々中嶋企画が走らせていたNSX-GT(初年度のチーム名前に"アメリカンR"という謎のフレーズが入っていた)をデチューンした車両が投入され、フロントフェイスなどを後期型の意匠に変更しつつ2004年シリーズまで参戦していた。
-2004年には無限改め、M-TECがほぼ前年のGT500車両を持ち込み(2004年シーズンはGT500がターボエンジンを乗せたためNAエンジンが余っていたという事情もある)クラスチャンピオンを獲得してしまったため亀裂を産み(ワークスがプライベーターをぞんざいに扱った)、SUPER GT移行以後の2005年にはホンダエンジンは使うが、シャシーは実績R&Dが提供していたヴィーマック((ベース車両がインテグラ・タイプRなどに用いられた2.0L NAを使用していたため、ホンダの市販車両のエンジン(当時のホンダのエンジンの中ではC型のV6)に換装することを前提にしていたのだが。))にスイッチしR&Dと提携状態で参戦するという事態になった(さらに2006年からはムーンクラフトとジョイントし紫電を運用するようになる)。
とはいえ、カーズ東海のジュニアチームがその後2006年までNSXを走らせている。

-ドイツの国内選手権(グループAに近いレギュレーション)に参戦した車両もあるが、こちらもGT1NA仕様と同じく資料があまり残っていない。

-C30A型エンジンは、IMSAのプロトタイプカーに使用された実績があり、アキュラ・スパイス SE90CLが1991年と1992年のIMSA-GTP Lightクラス(プロトタイプのクラス)のドライバーとマニファクチャラー両方のシリーズチャンピオンとなっている。

-上記GT300クラスの所でサラっと書いたが、ヴィーマックには、概ね中期型(NA1後期型)以降に搭載されたC32B型エンジンが用いられていた((さらなる速さを求め、ホンダ以外のエンジンに変えるチームもあったが。))。GT300用のエンジンの多くは戸田レーシングが整備等を行っていた。
#endregion
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