|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):90|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー/国籍|トヨタ/日本|総排気量|1998cc|全長|4,170mm| |カテゴリー1|N200|最高出力|247PS/6,000rpm|全幅|1,695mm| |カテゴリー2|ノーマルカー/スポーツカー|最大トルク|30.9kgfm/4,000rpm|全高|1,235mm| |内装|あり|駆動形式|MR|車両重量|1,270kg| |年式|1997|吸気形式|TB|TM|5速| |>|~入手方法|>|>|>|~セッティング他| |ディーラー|Cr.2,710,000|制限|>|>|---| |その他|---|特記|>|>|---| //-備考: #region(←カラーバリエーションを表示) |>|>|>|>|~カラーバリエーション| |Super White II|Beige Mica Metallic|Black|Orange Mica Metallic|☆Super Red II| |Dark Purple Mica|---|---|---|---| #endregion ---- #ref(mr2_97.jpg,nolink) ---- -1989年10月、国産初のミッドシップであるMR2は初のモデルチェンジを行い、SW20型となった。 -エンジンは2,000cc直列4気筒DOHCの3S-GTEおよび3S-GEが採用され、ステアリングの切れ角に応じて光軸が移動するステアリング連動フォグランプも話題となった。 しかし発売当初のI型はエンジンパワーに対して足回りやブレーキが負けており、非常にピーキーな車になってしまった。 また、当時の運輸省が60扁平までしか認めなかったことや、採用された3S-G型エンジンが鋳鉄製のため非常に重い(約180kg、[[スープラ>スープラ RZ '97]]の2JZ-GTEが220kg、アルテッツァAS200の1G-FEが160kgほど)こと、その重いエンジンやABSシステム、インタークーラーなどが右側に寄っているため左右重量差が大きいことなども、MR2を難しい車としていた。 -GT及びGT-Sは、セリカ譲りの3S-GTEエンジンを搭載しスポーツカーに相応しいさらなる高出力を実現するため、吸気ポートやバルブ径、バルブタイミング、バルブリフトが最適化され、I型では225psを発生させた。当時2.0Lクラスでこの出力はトップクラスであった。 ターボシステムも4つのシリンダーからの排気を二分して導入する「ツインエントリー・セラミックターボ」を独自開発し採用。当時の他のターボエンジンと比べて鋭いレスポンスを実現した。 III型以降はさらに出力を向上させ245psとなりMR2を2Lクラス最速の座へ君臨することになる。 -ターボ仕様のみABSやTCSが標準装備となり、ABSは4輪を独立して制御する4チャンネル式を採用。 このABSは非常に出来が良くプロのレーシングドライバーからも絶賛された。 特にIV型のABSはあまりにも出来が良すぎてワンメイクレースで使用が禁止されるほどである。 -SW20は、そのモデルライフ中にマイナーチェンジを繰り返し、I型~V型が存在する。このV型ではシャシーや足回りの熟成が進み、I型の頃のようなピーキーさは無くなった。 またリアスポイラーが3段階の調整式のものに変更され、最大で50kgのダウンフォースを発生させる。リアスポイラー変更に伴いトランクの補強が行われたためリアのボディ剛性も向上している。 NA仕様であるG及びGリミテッドでは、3S-GE型エンジンがBEAMS搭載のものへ変更され、200psを発生し、リッター100psを実現。エンジンパワーとシャシー性能のバランスが良く、MR2のベストモデルと言われている。 --テストドライバーを務めた成瀬弘氏も本車のNAモデルを世界最高であるとし、「[[ニュル>ニュルブルクリンク]]で居合わせたポルシェのエンジニアに『なんでこんな安いクルマがこんなに走るんだ』と感動された」と振り返っている。 -1999年に後継車のMR-Sにバトンタッチし、生産終了。 ---- #region(余談) -CR-XデルソルとSW20型MR2のリアウィンドウ周りの意匠はほぼ同じである。 これについては「MR2のリアウィンドウを取り払って走らせてみると気持ち良かったため、デルソルにリアウィンドウの電動格納機能を装備した」とホンダのデルソル開発陣が語っている。 -足回りが負けている最大の理由は、実はデザインのためにフロントノーズを低くした結果、サスペンションも短くなり性能に見合うサスストロークが得られなくなったからである。 --ちなみに問題とされたI型では、左右の重量配分を考慮した結果バネレートが左右で異なり、急ブレーキ時にバランスを崩しやすいという欠点があった。 #endregion ---- #region(派生モデルの解説) -MR スパイダー トヨタテクノクラフトがSW20のNA仕様をベースにルーフをぶった切ってオープン化したモデル。 試作車両3台に加えてIII型ベースが74台、IV型ベースが7台、V型ベースが8台製作され、合計しても全国に92台しか存在しない激レア車。 #endregion ---- #region(レース活動) -1996年後半から1999年まで全日本GT選手権GT300クラスに参戦していた。 参戦初期の96年はJTCCのエクシブ譲りの2L NAエンジン、3S-GEを搭載し戦っていたが、翌年からターボ化している。 --96年と97年にファーストレーシングチーム走らせるバーディークラブMR-2に元タレントにして現参議院議員の三原じゅん子が参戦していたのは有名な話である。 -98年と99年につちやエンジニアリングがチームタイトルを獲得。特に98年はシリーズ全6戦中5勝してのチャンピオン獲得であり、20年経った現在もこの記録は破られていない。また、GT300クラスにおいて同一チームが連覇を果たしたのはつちやエンジニアリングが唯一である。 -2000年シーズンから同チームはGT500クラスへステップアップ。99年に共同戦線を組んでいたアペックス改めaprは独立。後継車としてMR-Sを選択し、MR-2は退役となった。 -1995年から1997年までにルマンのGT1クラスにサードが投入したMC8Rのベースは本車両であるが、本車のキャビン部分を残し、骨格の他の部分は新規製造。エンジンを当時のセルシオ用の4L V8にターボを装着したものにするなど、原型をとどめない魔改造レベルの物となっていた。 --ロードモデルとしてMC8という車両も制作された。 -ルマンは96年のみ完走。他にも95年と96年はBPR(FIA-GT選手権の前身シリーズ)の1戦扱いの鈴鹿1000kmに参戦したが目立った成績は残せず(95年は完走、96年はリタイア)、97年にはFIA-GT選手権の1戦に組み込まれた鈴鹿1000kmに2台体制で参戦したがやはり良い結果を残せずこの年限りで撤退した。 #endregion ---- |