• 「公道を走るF1」というコンセプトを元に開発され1995年にデビュー。
  • シャシーはフルカーボンで制作され、エンジンも合成材に用いるストレスマウント設計により世代最高峰のボディ合成を誇り、コーナリング性能が重視された設計であった。
    • 始めからカブリオレ(オープンカー)として使用してもボディ合成が不足しないよう設計されていて、当時「世界で最も速いオープンカー」だったと言えなくない。ただし、デタッチャブルトップは一般人が簡単に取り外し/取り付けができない複雑な装着方で、専門の整備業者に持ち込み改造同然の依頼が必要だった。
  • ただし、元レーシングドライバーの中谷明彦によると、「レーシングスリックタイヤじゃないと、本来の性能を発揮できない」とのこと。
  • 搭載されたエンジンは、当時のフェラーリF1(F92A)に用いられた3.5L 5バルブ 65度V12の鎮鉄ブロックを元に限界レベルまで排気量を拡大した4.7L V12エンジンである。
    「公道を走るF1」というコンセプトの他にフェラーリ内部では「F1エンジンを搭載したロードカー*1」を制作したいという意見もあったことと、当時のフェラーリのV12エンジンにストレスマウントとして用いる強靭なエンジンがなかったということがF1直系のエンジンの選択という答えを出した。
  • しかし、ロードカーとして中途半端な排気量と、どう調整しても元が超高回転型のF1エンジンが元なため、実用域のトルクがやや細く、重い駆動系や電子制御のない操作系と相まって、非常に扱いづらいという評価もある。
  • 余談であるが、5バルブのF1エンジンはスバルやヤマハも開発したが、フェラーリも含めF1での勝利はゼロだった。
  • 運が悪かったのは、先んじて1994年にマクラーレンF1がデビューしてしまったこと。
    トラクションコントロールなどの電子制御がないという点は共通だったが、F50はHパターンの6速ミッションの操作もアクセルやクラッチの踏み込み、ハンドルなどの操作系がマクラーレンより重く、古典的なレーシングカーの操作ほぼそのままだったことがマイナス評価につながった。
    また、エンジンも上記に記した通りロードユースの面でも扱いづらい上、レースに持って行っても(下記333SPの所を参照)安定した速さが得られなかったことも相対的に評価を下げる要因になった。
  • ダラーラに依頼しレース専用車として当時のGT1の規定に適合するF50GTが3台制作されたが、1995年のル・マンでのF40の敗退*2や、1996のポルシェ911GT1の登場。そして下記の333SPの苦戦などを受け、1度もレースに出ることなく、日本、アメリカ、ドイツの販売代理店等に「レースに出場させないこと」を条件に譲渡された。日本ではフォーミュラニッポンなどのレースイベントの中でデモンストレーション走行がおこなわれていた。
  • 1994年にデビューしたプロトタイプレーシングカーの333SPのエンジンは、本車両のエンジンをベースにIMSA-GTPの規定に沿うよう改修された物が使われている。排気量はIMSAの4,000cc未満になるように収めた。一方で、市販車のエンジンという規定に当てはまらないエンジンだったのだが(F50の販売前)、減少するGTPの参加車両を集めるために参戦が認められたという経緯がある。
    初年度は順調に勝利を上げるも、翌年以降にレブリミッターが低くなるよう性能調整され、1995年のル・マンでも苦戦し、F50も含めフェラーリのワークス体制レベルでのル・マン参戦は縮小していく。


*1 販売に至らなかったヤマハOX99-11のようなライトウェットの車両
*2 予選はマクラーレンを上回ったが決勝が散々

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