|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):90|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー/国籍|ポルシェ/ドイツ|総排気量|2649cc|全長|4,770mm| |カテゴリー1|Gr.1|最高出力|619PS/8,000rpm|全幅|1,990mm| |カテゴリー2|プロトタイプレーシングカー/FIA-グループC1|最大トルク|61.2kgfm/5,000rpm|全高|1,080mm| |内装|あり|駆動形式|MR|車両重量|850kg| |年式|1988|吸気形式|TB|TM|5速| |>|~入手方法|>|>|>|~セッティング他| |ディーラー|Cr.100,000,000|制限|>|>|---| |その他|---|特記|>|>|---| //この年のグループC2はジュニアクラスです。本車がC2扱いになったのはGr.C新規定導入後。 //-備考: ---- #ref(962c.jpg,nolink) ---- -1984年まで旧WECのグループCに参戦していた956をベースに、IMSA-GTPの安全規定((足がフロントホイール軸より後方に存在すること。))に適合するよう、フロントホイールを120mm前に出す形で改良されたマシンが962。 85年にグループCの安全規定がIMSA-GTPに準じたものになると、ポルシェはグループC参戦車両を956から、962をベースにツインターボエンジンを搭載した962Cにスイッチした。 IMSAも後にツインターボが解禁されたため、962でなく962Cを投入するチームも存在した。 -エンジンはインディ500参戦を目指し開発されたという背景があり、当時のグループCとしては中途半端な排気量になっている。 元がフォーミュラ用エンジンということから「パワーはあるがトルクが細い」という側面もあり、プライベーターたちの意見を取り入れ最終的に3.2Lまで排気量を拡大させた。 本作品に収録の車両は85年スペックの2.65L半水冷((シリンダーは空冷で、ヘッド部分は水冷。))ツインターボ仕様。そのほかに2.8Lの半水冷、3L全水冷が2スペック、そして最終の3.2L仕様が存在したが、パワーに反比例する形でエンジンの耐久性は犠牲になっていたようで、2.65L時代は4000~5000kmごとのオーバーホールだったが、3.0Lのスペック2になってからは1200kmしか持たなかったという。 --IMSA仕様がいち早く3.16L→3.0L化するのだが、こちらはツインターボ禁止でポルシェがワークス参戦していなかったという事情もありエンジン開発が先行していた。 --しかし直接ワークスと関係するWEC仕様はは956時代と同様、ワークスの型落ちスペックしか提供されなかった((とはいえ、型落ちであることは同時に「去年のワークスチームが耐久性を保証してくれている」という事でもあり、資金繰りが厳しいプライベーターにとってはありがたい事でもあった。))。 後にワークスが撤退した後は、チームヨーストを筆頭とした実質ワークス扱いの有力プライベーターに最新スペックが供与され、それ以外のチームは前年以前のスペックが購入可能となっていた。 -シャシーは956/956Bからのキャリーオーバーも多く、フラット6エンジンを前傾させてディフューザー空間を確保するという構造もほぼそのまま。 フロント側はバルクヘッドから先が更新されたものの、全体的にパーツの互換性が高く、零細プライベーターは956から962へのコンバージョンキットを購入してレースに出場していた。 --逆に少しでも戦闘力を高めようと、シャーシを自作してしまうチームもあった。また屋根をぶった切ってオープンプロトに改造された個体が1台確認されている。 -1988年のWECシーズン終了をもってポルシェは車両の開発を停止し、1991年以降から導入予定となっていたグループCの新規定に適合する車両の開発に注力するとされていた。 しかしヨーストなどの有力なプライベーターチームを実質ワークスとして活動させ、グループC終了直前までレース活動を継続。 新規定に適合する3.5Lエンジンの開発が頓挫したこともあり((1991年のF1においてフットワークに供給したが「旧世代のV6の縦列」などと言われたいわくつきのV12エンジンと基本設計が同じ。))、結果的にGT1規定の初年度の1994年まで本車両のアップデートを続けたことになる。 ---- #region(余談など) -1994年のル・マンに登場したダウアー962LMは本車両とほぼ同じものであるが、前年のフランクフルトモーターショーで披露されたワンオフ車両でGT1クラスのホモロゲーションを通し、何ら問題なくレースに出場。 正直にグループCとして参戦したトヨタ(サードに車両を供与したという体裁)との死闘の末総合優勝を飾るが、さすがに批判も多かったようであり、翌年LMPカーのWSC95((正確にはIMSA-WSCクラスのレギュレーションに沿って開発したが、IMSAのリストリクターの設定が大幅に変更になってしまいこちらも参戦を見送った。その後チームヨーストに払い下げられたWSC95は、ワークスの911GT1を差し置いて96、97とルマン2連勝を飾るという皮肉もあった。))を開発したものの参戦を自粛。 --ちなみにこの962Cベースのロードカーは1台では無く数台作られており、その中の1台は日本のナンバーを取得しているのが確認されている。 -日本のJSPCではバブル景気の後押しや956の強さから本車両を導入するチームも多く、1989年まではほぼ上位争いを制圧していた。 1990年以降は日本車ワークス勢の台頭やバブル景気の後退、ポルシェの車両開発が停止し日本のプライベーターチームにはほぼ開発力がないなどの状況が合わさり、上位争いから徐々に退いて行った。 -1994年の全日本GT選手権にチームタイサンからウェイトハンディを300kg近く載せ、リストリクターのみで強引に馬力を抑制した車両が出場していた。 あまりにもおおざっぱな性能調整により苦戦することも多かったが、第3戦富士で優勝。この時のドライバーの1人がマッチこと近藤正彦氏であり、マッチにとって初めての全日本選手権での総合優勝というメモリアルでもあったりする。 --流石におおざっぱ過ぎて伸びしろが無い事から、翌年からマシンはスイッチされ、この1年のみの出場となった。 -本車標準リバリーの広告ロゴが「Rothmans」ではなく「Racing」になっているがこれはパロディではなく、タバコ会社への広告規制により実際にこのような代替ロゴが用いられることがあった。 --本作収録モデルと全く同じリバリーのマシンは、1986年のシルバーストン1000kmに出場している。 #endregion ---- |