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|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):90|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c
|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー/国籍|トヨタ/日本|総排気量|1988cc|全長|4,175mm|
|カテゴリー1|N200|最高出力|156PS/7,000rpm|全幅|1,600mm|
|カテゴリー2|ノーマルカー/スーパーカー|最大トルク|17.9kgfm/5,000rpm|全高|1,160mm|
|内装|あり|駆動形式|FR|車両重量|1,120kg|
|年式|1967|吸気形式|NA|TM|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~セッティング他|
|ディーラー|Cr.16,000,000|制限|>|>|---|
|その他|---|特記|>|>|---|
//-備考:

#region(←カラーバリエーションを表示)
|>|>|>|>|~カラーバリエーション|
|☆Pegasus White|Thunder Silver|Solar Red|---|---|
#endregion
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#ref(2000gt.jpg,nolink)

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-事実上、国産初のスーパーカーと言えるクルマである。
名称・メカニズム的な継承点は一切ないが、LFAの始祖と呼べるクルマでもある。
-1967年から1970年までの僅か数年のみ生産・販売された、実質的に国産自動車史上初のスーパーカー。
名称・メカニズム的な共通点・継承点を一切持たないものの、レクサス LFAの始祖と呼べる車両でもある。

-ヤマハの技術供与によってトヨタから発売(車両の製造はヤマハが担当)された2000GTであるが、トヨタ側の開発担当は4人に過ぎず「共同開発」と呼ぶには諸説ある。
しかし、ヤマハ側は2000GTの開発についての公式な言及で「ヤマハの技術供与」という表現を用いていることから本項のような表現とした。
なぜトヨタがヤマハに製造を委託したかというと、当時のトヨタには少数生産のためのラインを作るスペースが工場に無かったためである。決してトヨタが単独で2000GTを開発する技術が無かったわけでは無い。
-トヨタとヤマハの技術提携によって誕生した車両だが、トヨタ側の開発担当は4人に過ぎず「共同開発」と呼ぶには諸説ある。
しかしヤマハ側は本車の開発について、「ヤマハの技術提携」と公式的に言及しているため、本項ではこのような表現とした。
何故ヤマハに製造を委託したかというと、当時のトヨタには少数生産用のラインを作るスペースが工場に無かったためである。
決してトヨタ単独で本車を開発する技術が無かった訳ではなく、むしろ技術的にはヤマハの方が不足していた。

-1964年に両社による開発が始まり、翌年8月には試作車が完成するという現代の眼で見ても非常に速い開発ペースは驚嘆に値する。
すでに著名なオートバイメーカーであり世界的な楽器メーカーでもあるヤマハの技術力はメカニズム的にも内装の仕上げに関しても大きく貢献することとなった。
-1964年に共同開発が始まり、翌年8月には試作車が完成するという、現代の目で見ても非常に速い開発ペースは驚嘆に値する。
オートバイ・楽器メーカーとして既に高い知名度を得ていたヤマハの技術力は、その完成度に大きく貢献する事となった。

-直列6気筒DOHCエンジン、鋳造マグネシウムホイール、4輪独立懸架、5速トランスミッション、4輪ディスクブレーキ、ラック・ピニオン式ステアリング、リトラクタブル・ヘッドライトといった装備を持ち、当時としては異例の贅沢な装備であった。
デザインに関しては完全な5ナンバー規格に収まっているにもかかわらず、その制約を感じさせない流麗なスタイリングを持ち、高級ピアノにも使用される高品質な木材を用いた内装(ウッドステアリングやインストルメントパネル等)は今なお評価が高く、現在でも熱烈なファンが存在する。
-パワーユニットは150PSを発揮する当時最新鋭の2L 直6DOHCであり、これにフルシンクロメッシュの5速MTが組み合わせられた。
足回りは前後共にダブルウィッシュボーンサスが与えられ、また国産車としては初となる4輪ディスクブレーキを採用。 
更にはリトラクタブルライト、マグネシウムホイール、ラック・ピニオン式ステア等、当時としては極めて贅沢な装備を誇った。
デザインについては完全な5ナンバー規格に収まっているにも関わらず、その制約を感じさせない流麗なスタイリングを持つ。
特に、高級ピアノにも使用される高品質な木材を用いた内装は今なお評価が高く、現在でも熱烈なファンが存在する。

-2000GTの新車価格は238万円であった。
この価格を現在の通貨価値に換算すれば1500~2000万円程度と言われ、一般の人々にとっては想像を絶する超高額車であったが、開発・製造コストを考慮に入れれば赤字だったと言われている。

-収録モデルである前期型と1969年にマイナーチェンジされた後期型の双方を併せても総生産台数は337台(うち国内向けは約200台)程度と生産台数は極めて少ない。

-この車のオープンバージョン((試作車を改造して製作したもの。))は「007は二度死ぬ」の際にボンドカーとして使用された事でも有名である。
現在はトヨタ博物館に保管されている。

-当時の新車価格は238万円であり、これを現在の通貨価値に換算すれば1500万とも2000万とも言われている。
一般人にとっては想像を絶する超高級車であったが、開発・製造コストを考慮すればそれでも赤字だったと言う。
収録モデルの前期型と、1969年にマイナーチェンジされた後期型を併せた総生産台数は、試作車を含めても337台。
その内、日本国内に割り当てられた台数は、僅か218台に過ぎなかった。
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#region(余談)
-前作GT6ではシフトレバーが実車よりも右側にずれた位置に配置されていたが、本作では修正されている。
#endregion
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//#region(派生モデルの解説)
//-書く場合はスラッシュを外してください
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