|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):90|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー/国籍|マツダ/日本|総排気量|1,597cc|全長|3,970mm| |カテゴリー1|N100|最高出力|119PS/6,500rpm&br;|全幅|1,675mm| |カテゴリー2|ノーマルカー/オープンスポーツカー|最大トルク|13.9kgfm/5,500rpm&br;|全高|1,235mm| |内装|あり|駆動形式|FR|車両重量|940kg| |年式|1989|吸気形式|NA|TM|5速| |>|~入手方法|>|>|>|~セッティング他| |ディーラー|Cr.1,700,000|制限|>|>|---| |その他|---|特記|>|>|---| //-備考: #region(←カラーバリエーションを表示) |>|>|>|>|~カラーバリエーション| |Crystal White|Silver Stone Metallic|Mariner Blue|☆Classic Red|---| #endregion ---- #ref(.jpg,nolink) -↓走行時にソフトトップ化 #ref(.jpg,nolink) ---- -ユーノスロードスターは、マツダが当時展開していた「ユーノス」と呼ばれる販売チャンネルから1989年にデビューしたスポーツカーである。 海外では「MX-5」と呼ばれ、北米では末尾に「Miata(ミアータ)」となる。 -ユーノスロードスター開発に当たってのキーワードを「人馬一体」と定め、若者が買えるライトウェイトスポーツを意識して開発が進められた。 そのため、開発当初から一貫してFRを主張し、上層部からFFとするよう指示を受けるも全く聞き入れなかったという逸話がある。 また、重量配分、特に慣性モーメントの低減に拘りを見せ、パワートレインや足回りに潤沢な予算を投じ、その他の部分は安価な部品を使用した。 -搭載されたエンジンはファミリア用1.6LエンジンをFR用に改良したB6-ZE型エンジン。 その最高出力は120psと控えめだが、無駄を排した軽量な車体には必要十分なスペックであり、扱いやすい特性となった。 マイナーチェンジで排気量が1800ccに増えたBP-ZE型エンジンが投入され、最高出力も130psにアップしている。 開発当時、RX-7用ロータリーエンジンを採用する計画もあったが、ボツになっている。 -サスペンションはマツダ初となる前後ダブルウィッシュボーンを採用。 -搭載トランスミッションは当初はMTのみ、当時の国産車では最小のショートストロークで、手首を返すだけでもシフト操作が可能であった。 また、ミッションケースとデフケースを結合するPPFの採用により、駆動部の剛性を高めてダイレクト感のあるアクセルレスポンスやシフトフィールを実現。 -雨が多い日本市場を考慮すれば屋根を完全に廃する事はできず、手動式ソフトトップと、オプションでデタッチャブルハードトップが用意された。 ソフトトップに設けられたリアウィンドウは、軽量化に拘った結果ビニール製となったが、経年劣化による曇りや割れが発生しやすく不評であった。 デタッチャブルハードトップはアルミ製で重量は約30kgであったが、後部ウィンドウがガラスであったことから実用性が高く、常時装着していたユーザーも相当数いたようである。 -楕円をモチーフとし、曲面を多用した愛嬌あるデザインのボディにはリトラクタブルヘッドライトを採用。 特に日本の伝統を意識したデザインコンセプトと機能性の両立は国内外から賞賛を浴びた。 また、ボンネット等の主要なパーツをアルミ製にして、グレードにもよるがMT車で車重940kgを達成。 -拘り抜いて開発されたロードスターのプライスは最低価格170万円からと非常にリーズナブルな価格設定となった。 そのため、モデル発表時点で半年分の予約が埋まるほどの大ヒットとなり、1998年にNB型にフルモデルチェンジするまでの総生産台数は約43万台に達した。 スポーツカーがここまでの生産台数を記録したことは前例がなく、後に「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」としてギネスブックに認定を受けた。 ---- //#region(派生モデルの解説) //-書く場合はスラッシュを外してください //#endregion //---- |