|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):90|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c
|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー/国籍|マクラーレン/イギリス|総排気量|6064cc|全長|4,292mm|
|カテゴリー1|Gr.3|最高出力|609PS/7,500rpm|全幅|1,820mm|
|カテゴリー2|レーシングカー/BPR GT-GT1|最大トルク|66.4kgfm/6,000rpm|全高|1,140mm|
|内装|あり|駆動形式|MR|車両重量|1,050kg|
|年式|1995|吸気形式|NA|TM|6速|
|>|~入手方法|>|>|>|~セッティング他|
|ディーラー|Cr.45,000,000|制限|>|>||
|その他|---|特記|>|>||
//-備考:

----
#ref(.jpg,nolink)
----
-1995年第63回ル・マン24時間レースは、雨の影響で歴史に残る名レースとなる。この年でデビューを果たしたマクラーレンF1 GTRは、このル・マン24時間レースに7台がエントリー、6台が出走した。その内59号車には関谷正徳をはじめ、J.J.レート、ヤニック・ダルマスが乗り込んだ。

-雨の予選を制したのはWRプジョー。圧倒的な速さでフロントローを独占する。
その後、WRプジョーは優勝候補のクラージュ・ポルシェと優勝争いを繰り広げるも次第にペースが落ち、果てにはプジョー8号車がクラッシュ。

-そんな中トップに立ったのは、国際開発UKレーシングのマクラーレンF1 49号車であった。
マクラーレン勢は参戦初年度という事もあり、駆動系の信頼性が低かったが、雨がそれを打ち消すような形となっていた。
しかし、翌朝49号車がクラッチトラブルを起こし失速、それにより51号車がトップに立った。

-トップを走る51号車に猛追してきた車が一台いた。関谷正徳らの乗るマクラーレンF1 59号車である。
2台は首位争いを繰り広げ、最終的にトップに立ったのは59号車だった。

-レースは終盤。雨が上がり、ペースを取り戻し強烈な速さで59号車に迫るポルシェ13号車だったが、59号車はその猛追を振り切り優勝。
関谷正徳はル・マン初優勝の日本人ドライバーとなり、また初出場車としては1949年のフェラーリ 166以来46年ぶりとなる勝利だった。
----
#region(レースでの活躍)
-日本のJGTCにも1996年にチーム郷が2台のラーク・マクラーレンF1GTRを投入し、圧倒的な速さでシーズンを席巻したが、外国車潰し(というかマクラーレン潰し)とも言われかねないえげつないレギュレーションの改変が決まり、チーム郷は暮れのオールスター戦に不参加となるなどの騒動になった。
-その後、チームTAKE ONEやヒトツヤマレーシングがロングテール仕様で参戦し、年々改造範囲が広がる国産ワークスとほぼ互角に戦った。
上記のチーム郷の速さを抑制するためにエアロパーツがJAF特認枠の括りに当てはめられてしまうようレギュレーションが改正されてしまい、パーツの新規開発などに制限がかかり、コーナリングの面でワークス勢に対して劣る面を持ってしまう。
-2001年のJGTC最終戦CP MINEにて綜警マクラーレンGTRが果たしたポール・トゥ・ウィンが、GT500クラスでのF1 GTR、外国車にとって最後の優勝となった。
#endregion
----


リロード   新規 下位ページ作成 編集 凍結 差分 添付 コピー 名前変更   ホーム 一覧 検索 最終更新 バックアップ   ヘルプ   最終更新のRSS