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|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー/国籍|メルセデス・ベンツ/ドイツ|総排気量|4973cc|全長|4,700mm|
|カテゴリー1|Gr.1|最高出力|940PS/7,000rpm|全幅|1,980mm|
|カテゴリー2|プロトタイプレーシングカー/FIA-グループC2|最大トルク|103.9kgfm/6,000rpm|全高|1,050mm|
|内装|あり|駆動形式|MR|車両重量|893kg|
|年式|1989|吸気形式|TB|TM|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~セッティング他|
|ディーラー|Cr.100,000,000|制限|>|>|---|
|その他|---|特記|>|>|---|
|その他|[[ルイス・ハミルトン タイムトライアル チャレンジ]]&br;オールシルバー|特記|>|>|---|
//-備考:

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-93年から現在までF1コンストラクターとして活躍しているザウバーが、F1以前に参戦していたWSPCにおいて、メルセデスと共に製作・使用したグループCカー。
--ちなみにザウバーのレーシングカーは初代から現在のF1に至るまで一貫して((2006-09年のBMW・ザウバー時代を除く))C○○という名称を使っているが、これはチームオーナーであるペーター・ザウバー氏の愛妻クリスティーヌ氏のイニシャルより取られている。

-メルセデスとのパートナーシップは85年に始まり、C8と呼ばれるマシンで85年、翌86年を戦った。本マシンはその発展型で、87年のWSPCシリーズ第4戦・シルバーストンでデビューした。
-メルセデスとのパートナーシップは85年に始まり、C8と呼ばれるマシンで85年、翌86年を戦った。C9はC8の発展型で、87年のWSPCシリーズ第4戦・シルバーストンでデビューした。
--C8は、ザウバーがBMWとパートナーシップを結んでいた時期に製作されたC7と基本構造は同一で、エンジンだけをメルセデス製に換装。
1955年以来のメルセデス復活という意味で記念碑的なマシンであった。

-89年のLM24では61・62・63号車の3台体制で参加し、収録の63号車が見事優勝。ザウバーチーム史上初、メルセデスにとっては37年ぶりのLM24制覇であった。
--ちなみに予選は61号車が2位、62号車が1位、そして63号車が11位を獲得し、決勝は上記の63号車が61号車との1-2フィニッシュを決め、62号車が5位で完走した。
--61号車はレース中に400km/hを記録し、今後絶対に破られないであろう記録として残った。
--優勝ドライバーの1人であるスタンレー・ディケンズはエンジンは強力、ハンドリングは高速コーナーでは良いが低速コーナーで神経質。乗り心地は振動が多く、そのためチームはマッサージ師を用意して、マシンを降りるたびにマッサージを受けていたと語っている。
-89年のル・マンでは61・62・63号車の3台体制で参加し、収録の63号車が61号車との1-2フィニッシュを決め見事優勝。ザウバーチーム史上初、メルセデスにとっては37年ぶりのルマン制覇であった。
また、61号車はレース中に400km/hを記録し、今後絶対に破られないであろう記録として残った。

-同年のWSPCにおいても、全8戦中7戦で優勝、チーム・ドライバー(ジャン=ルイ・シュレッサー)のダブルタイトル獲得という快挙を成し遂げた。

-翌年のWSPCは後継車両のC11にスイッチしたが、開幕戦鈴鹿のみ2号車をC9が務めた。
--しかしその開幕戦、本命の1号車であるC11が予選でクラッシュしたために結局2台ともC9で出場することになった。急な出場の為に代理の1号車はグリッドでのガソリン漏れでピットスタートになる等完走さえも危ぶまれたが、終わってみれば1号車の優勝で見事1-2フィニッシュ。これが引退レースとなり、有終の美を飾った。

-メルセデスの代名詞でもあり、本マシンのカラーリングでもある『シルバーアロー』であるが、マシンの塗装は85年から88年まではスポンサーカラー(イブ・サンローラン傘下のブランドである"クーロス"カラーを纏った他、AEGが精密機械関連の会社ということで、IDチップを模したカラーリングを纏ったことも)であり、シルバーアローの復活は89年まで待つことになった。
-メルセデスの代名詞でもあり、本マシンのカラーリングでもある『シルバーアロー』であるが、マシンの塗装は85年から88年まではスポンサーカラーであり、シルバーアローの復活は89年まで待つことになった。

-『ザウバー』の名が冠された最後のグループCマシンであり、翌'90年からはザウバーの名が外れ、名実ともにメルセデスワークスとなる。
ただ、チーム運営は引き続きザウバー氏が行っており、それは車両に掲げられたCのイニシャルからも明白である。
--両者はグループC終焉後ともにF1への道を歩むこととなる。
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